懐烟画譜/画譜の茶話〜画譜からの絵画学習をもとにしたゆるゆる筆墨会。
2017年 07月 03日
日時 2017年7月3日(月)
16:00〜画譜の茶話
19:00〜懐烟画譜
会場 路地と人
参加費 各回1000円(資料込)
*ノート作成の場合は材料費別途500円がかかります。参加者は筆・墨・硯をお持ちください。
・・・・・
画論を読む茶話会に並行して、画譜に習う筆墨の集まりを始めて約一年が経ちます。
鉛筆と洋紙のノートの普及以前、日本では中国の漢字文化圏の下育まれた筆墨による筆記が専ら行われておりました。
当然絵画においても同じ道具が用いられたわけですが、さて、その時代の絵画学習はどのように行われていたのでしょうか。
例えば、絵師の徒弟となった場合には、師匠の描いたお手本を模写することで、筆の使い方、モチーフの捕らえ方などの基礎を築き、その上で古きを守るに務めたり、さらに自らの特色を工夫し盛り込むなどしながら一人の画風を育む、といった学習過程であったようです。
また、さまざまな絵を見るために寺社や個人宅を訪ね、手控えに簡略にその構成を写し取ったり、場合によってはその絵を借り受けてこれを実寸大で模写をする。それは、今日のように印刷物や画像データで多様な絵画を手軽に見られる状況にはなかった時代に、彩色法や筆法などの技法、画面構成、各種画題と、さまざまな情報を獲得するための必要手段でもあったことが想像されます。
江戸時代、町人階層が豊かになるにつれ、出版も次第に盛んになってゆきます。
それまでは師弟関係の中で得られるものであった上記の絵画に関する情報もまた、版に起こされるようになります。これに先行して、中国大陸では明末清初にかけて出版が盛んとなり、挿絵から展開して図像を集めた書籍、そして絵画に関する書籍の出版が行われました。これらは儒者らの手を介す等して日本へも紹介され、写本の作成はもとより、それら国内版の作成や、絵師による各種翻案版の作成にいたるなど、以後絵画へ出版物へと影響をもたらしました。
この会では、こうした画譜を介して実際に写本を作成しながら、筆墨での絵画学習を追体験し、また、今日どこか断絶した感のあるその造詣意識にとゆるやかに触れ得る機会にしていければと考えております。この作業が、体験者それぞれの造詣意識や文化史上の問題意識にと結びついて、何がしか今日なりの可能性を再発見するための端緒となれば、と願ってもいます。
会ではまず自分の使うノートを半紙でつくるところから始めます。
またその後写本を作成するテキストは『芥子園画伝』から始めます。江戸時代中期以降の日本の漢画に新たなシーンを築き、その学習の支えとなったといっても過言ではない、理論書と図録を兼ねたテクストと云えましょう。
併せて、これまで懐烟茶話として行ってきた中国絵画に関する文献の読書会は、印刻実習、書道用品店や展示の見学など複合的にこうした文化に触れるゆるやかな機会として活用・展開して行ければと考えております。もちろん筆写も併せて行える時間となる予定です。こちらは懐烟画譜の茶話として、画譜会の前の夕方の時間を共に活用しましょう。
月一回、それぞれのペースで、筆墨に親しむ機会にとしていければと考えておりますので、小学校・中学校以来という方も、書道道具をお持ちいただき、お気軽にご参加いただければと思っております。なお、ご参加の方は筆墨に親しむため、各自硯と墨と筆をお持ち下されたく存じます。
(中西レモン)
懐烟画譜によせて
少し前まで、街中で歩いていても書き慣れた毛筆の注意書きなどを見かけることがあったが最近ではめっきり見ることがなくなった。恐らくは二十年ほどのことかと思うが、これに気づいたのは大阪千日前の書店で行草の商品紹介を掲示をしているのを見たときである。
主人の趣味もあるのだろうけれども、確かにこの様な掲示は見たことがあったから、かかる書店の掲示は習慣を変えないままきてしまったのだろうと思われた。
行体は読めるにせよ、現在草体はどれくらいの人が読める、いや文字として目にとめるだろうかと同時に感じたのを覚えている。だいたい手書きの掲示物すら一部の寺院で見るくらいしかもう見かけなくなった世間ではある。その中で手書きを模した書体もあり、手書きそのものも数ある趣味の一部と漠然と分類されるという感もある。
文化とは不断に更新されるがその足音は静かなようである。私はさまざまの変化に無頓着であるが、あるときある拍子に、私たちが過去に親しんだ、ある習慣が思い出されることがある。その時間的な飛躍は優に一世代を超えて、我々がしたこともない髷を頭に乗せていた頃が立ち現われることもあるのである。
たとえば何かしらかの色のある粉をつなぎを入れて練った物をまた溶いて、それを毛を束ね、それに持ち手として棒をつけたものを使い筆記する事は、絵を描いた経験ある者にとってみれば日常茶飯である。
この行為の単純は今回対象としている墨を使った画が描かれたところと全く変わりがないのである。
ひとたび各々比較すれば、自ずと似ているところを見、また如何してか似ていないところも認めることになるだろう。
たまさか我々の遊ぶ文化の持つ起伏の上を、親しみと新鮮さを以って散策してみることとしよう。
(高村健志)
・・・・・
高村健志
昭和59年10月23日神戸市生まれ、通算引っ越し回数7回を経て画家、現在に至る。
中西レモン
ぶらぶらしてる人。あれこれ首をつっこんできまして、このごろは庶民の唄と踊りと物語、あと絵画にも関心が回帰してきているようです。
16:00〜画譜の茶話
19:00〜懐烟画譜
会場 路地と人
参加費 各回1000円(資料込)
*ノート作成の場合は材料費別途500円がかかります。参加者は筆・墨・硯をお持ちください。
・・・・・
画論を読む茶話会に並行して、画譜に習う筆墨の集まりを始めて約一年が経ちます。
鉛筆と洋紙のノートの普及以前、日本では中国の漢字文化圏の下育まれた筆墨による筆記が専ら行われておりました。
当然絵画においても同じ道具が用いられたわけですが、さて、その時代の絵画学習はどのように行われていたのでしょうか。
例えば、絵師の徒弟となった場合には、師匠の描いたお手本を模写することで、筆の使い方、モチーフの捕らえ方などの基礎を築き、その上で古きを守るに務めたり、さらに自らの特色を工夫し盛り込むなどしながら一人の画風を育む、といった学習過程であったようです。
また、さまざまな絵を見るために寺社や個人宅を訪ね、手控えに簡略にその構成を写し取ったり、場合によってはその絵を借り受けてこれを実寸大で模写をする。それは、今日のように印刷物や画像データで多様な絵画を手軽に見られる状況にはなかった時代に、彩色法や筆法などの技法、画面構成、各種画題と、さまざまな情報を獲得するための必要手段でもあったことが想像されます。
江戸時代、町人階層が豊かになるにつれ、出版も次第に盛んになってゆきます。
それまでは師弟関係の中で得られるものであった上記の絵画に関する情報もまた、版に起こされるようになります。これに先行して、中国大陸では明末清初にかけて出版が盛んとなり、挿絵から展開して図像を集めた書籍、そして絵画に関する書籍の出版が行われました。これらは儒者らの手を介す等して日本へも紹介され、写本の作成はもとより、それら国内版の作成や、絵師による各種翻案版の作成にいたるなど、以後絵画へ出版物へと影響をもたらしました。
この会では、こうした画譜を介して実際に写本を作成しながら、筆墨での絵画学習を追体験し、また、今日どこか断絶した感のあるその造詣意識にとゆるやかに触れ得る機会にしていければと考えております。この作業が、体験者それぞれの造詣意識や文化史上の問題意識にと結びついて、何がしか今日なりの可能性を再発見するための端緒となれば、と願ってもいます。
会ではまず自分の使うノートを半紙でつくるところから始めます。
またその後写本を作成するテキストは『芥子園画伝』から始めます。江戸時代中期以降の日本の漢画に新たなシーンを築き、その学習の支えとなったといっても過言ではない、理論書と図録を兼ねたテクストと云えましょう。
併せて、これまで懐烟茶話として行ってきた中国絵画に関する文献の読書会は、印刻実習、書道用品店や展示の見学など複合的にこうした文化に触れるゆるやかな機会として活用・展開して行ければと考えております。もちろん筆写も併せて行える時間となる予定です。こちらは懐烟画譜の茶話として、画譜会の前の夕方の時間を共に活用しましょう。
月一回、それぞれのペースで、筆墨に親しむ機会にとしていければと考えておりますので、小学校・中学校以来という方も、書道道具をお持ちいただき、お気軽にご参加いただければと思っております。なお、ご参加の方は筆墨に親しむため、各自硯と墨と筆をお持ち下されたく存じます。
(中西レモン)
懐烟画譜によせて
少し前まで、街中で歩いていても書き慣れた毛筆の注意書きなどを見かけることがあったが最近ではめっきり見ることがなくなった。恐らくは二十年ほどのことかと思うが、これに気づいたのは大阪千日前の書店で行草の商品紹介を掲示をしているのを見たときである。
主人の趣味もあるのだろうけれども、確かにこの様な掲示は見たことがあったから、かかる書店の掲示は習慣を変えないままきてしまったのだろうと思われた。
行体は読めるにせよ、現在草体はどれくらいの人が読める、いや文字として目にとめるだろうかと同時に感じたのを覚えている。だいたい手書きの掲示物すら一部の寺院で見るくらいしかもう見かけなくなった世間ではある。その中で手書きを模した書体もあり、手書きそのものも数ある趣味の一部と漠然と分類されるという感もある。
文化とは不断に更新されるがその足音は静かなようである。私はさまざまの変化に無頓着であるが、あるときある拍子に、私たちが過去に親しんだ、ある習慣が思い出されることがある。その時間的な飛躍は優に一世代を超えて、我々がしたこともない髷を頭に乗せていた頃が立ち現われることもあるのである。
たとえば何かしらかの色のある粉をつなぎを入れて練った物をまた溶いて、それを毛を束ね、それに持ち手として棒をつけたものを使い筆記する事は、絵を描いた経験ある者にとってみれば日常茶飯である。
この行為の単純は今回対象としている墨を使った画が描かれたところと全く変わりがないのである。
ひとたび各々比較すれば、自ずと似ているところを見、また如何してか似ていないところも認めることになるだろう。
たまさか我々の遊ぶ文化の持つ起伏の上を、親しみと新鮮さを以って散策してみることとしよう。
(高村健志)
・・・・・
高村健志
昭和59年10月23日神戸市生まれ、通算引っ越し回数7回を経て画家、現在に至る。
中西レモン
ぶらぶらしてる人。あれこれ首をつっこんできまして、このごろは庶民の唄と踊りと物語、あと絵画にも関心が回帰してきているようです。
by rojitohito
| 2017-07-03 00:00
| 2017年終了イベント