散策研究会| 第3回漂流教室 山の手の<むらぎも>を巡る
2016年 05月 31日
こちらの催しは終了しました。ありがとうございました。
「彼の暮している清水町の合宿、それを入れて上野公園へとつづくそこの高台、それから大学のあるこの第二の高台、それから植物園のある第三の高台、この三つの高台と、それに挟まれた八重垣町の窪地、指ヶ谷町、八千代町の窪地の二つの窪地とが、自分の心理に不安定な混雑をあたえているのを安吉自身感じてもいた。三つの高台にも生活があり、二つの窪地にも生活があった。高台の方の生活には一種の合理性があり、窪地の方の生活には一種の不合理性があった。この合理性には小ブルジョア的なところがあり、不合理性の方にはプロレタリア的なところがあった」
「彼の暮している清水町の合宿、それを入れて上野公園へとつづくそこの高台、それから大学のあるこの第二の高台、それから植物園のある第三の高台、この三つの高台と、それに挟まれた八重垣町の窪地、指ヶ谷町、八千代町の窪地の二つの窪地とが、自分の心理に不安定な混雑をあたえているのを安吉自身感じてもいた。三つの高台にも生活があり、二つの窪地にも生活があった。高台の方の生活には一種の合理性があり、窪地の方の生活には一種の不合理性があった。この合理性には小ブルジョア的なところがあり、不合理性の方にはプロレタリア的なところがあった」
以上は、中野重治の『むらぎも』(1954)の一節です。文芸評論家の前田愛はかつて、この小説を
「時間のタテ糸と空間のヨコ糸を複雑に織りあわせることで、マンダラ風の絵模様を浮かびあがらせている作品」と評し、「『むらぎも』のなかで克明にスケッチされた大正から昭和にかけての本郷界隈の風景は、〈むらぎも〉さながらに入り組んだ時間の仕掛けとひとつになっている」と書きました。
水道橋にある『路地と人』は、その「指ヶ谷町、八千代町の窪地」をさらにぐっとさがったちょっとさきにあるので、中野重治/前田愛の「文学空間」を巡るのには ちょうどよいかなと思いました。というわけで、今回の漂流教室では、「高台の方の生活」と「窪地の方の生活」が最近はどうなっているのか、観察に行きます。下に掲げた地図と小説からの一節を参照しながら、安吉の歩いた「コース」をなぞってみる予定です。とはいえ、この一節はあくまで「参照」なのでもあって、単に所縁の場所、建物などを目指すというものではありません。その場の雰囲気や事物がアフォードしてくるものに敏感に反応しながら歩行・観察・記録していきますので、「コース」からの逸脱が度々生じることあらかじめご了承ください。また参加者はカメラを持参ください。散策終了後、『路地と人』に戻り、プロジェクターで映像を見比べてみます。
(※むらぎもとは、五臓六腑のこと。)
出典 『幻景の街─文学の都市を歩く─』(前田愛/岩波現代文庫)
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散策研究会|
第3回漂流教室 山の手の<むらぎも>を巡る
2016年5月31日(火)
〈1部〉
13時 文京シビックセンター25階展望ラウンジ 集合
〒112-8555 東京都文京区春日1丁目16番21号
少しお話をして、歩きます。18時過ぎ頃、路地と人到着予定。
〈2部〉
19時から20時半
写真など記録の上映、見比べをしながらお話をします。
定員:5名 要予約(前日までに、rojitohito@gmail.comまでお申し込みください。)
※2部からの参加も可能です。こちらは予約不要。
参加料:500円
持ち物:写真を記録できるメディア
少々の雨天決行(土砂降りなど、難しい場合はTwitter、メールにてお知らせします。)
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散策研究会とは、2013年に発足した、北川裕二主宰の都市散策のプロジェクト。研究会の前身は四谷アート・ステュディウムの環境文化・耕作ゼミ。
北川裕二
1963年東京生まれ。主な活動に、散策研究会のほか、
「The river flows through the city. 川は市内を流れている。」(2016)https://www.youtube.com/watch?v=aLoWmhI4yZ4、「review the landscapes」(milkyeast, 2015)https://www.youtube.com/watch?v=hg2adng9yDY、複数アーティストの参加による連歌形式のブログ「金魚/黄桃」(2010-2011)、「Dus t p ass es through the window」(Gallery Objective Correlative, 2006)など。
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「腹がへったナ……」
それを安吉はさっきから気づいていた。藍染橋から坂へかからないで、八重垣町から根津をのぼったのはそれにも関係していただろう。そうと意識しないままに、彼は、白山の通りに出ているはずのシナそば屋を予想していたのだった。沢田のところを出てから安吉はワンタンを晩めしに食っていた。そして電車賃だけ残して──電車で帰らぬことがわかっていてやはり彼はそうした。──シュウマイを一皿食った。いま安吉は、ズボンのポケットに十銭白銅一枚だけ残っているのを知っていた。どうしてもそこに、白山と肴町とのあいだの、二本の電車みちをつなぐあの鼓の胴のようになった通りに、湯気があちこちして屋台が出ていなければならない……
根津のごろた石の多い坂はとっくに通りすぎていた。何とかいう薬学専門学校のところも通りすぎていた。何かおるか知らぬなりに勝手知ったという感じの道をどんどん歩きぬけて行って、本郷の電車みちへ出た彼は頭を低くするようにして目あての通りへ急いだ。
彼は胴の通りへ折れた。屋台は、やはり湯気を動かして灯をともしていた。電車みちは両方ともがらんとして、安吉に見えるかぎりは一つも人通りがなく、屋台の横丁は屋台以外はまっくらくなって寝入っていた。屋台は通りのまんなかへ出ている。灯のとどく範囲だけぼうっと見えてそれなり闇のなかへ消えて行く湯気。屋台のおやじの使うごく軽いうちわの音。屋台全体がいかにも粗末に出来ていることがいかにも屋台を生きたものにする。湯気のあったかさ、湯気の幕をくぐりぬけて顔を突っこむ一種のよろこばしさで安吉は湯気のなかへ顔を突っこんだ。
「へえ、いらっしゃい。」
「そばをくれ……」
それをこさえるところを見ているのがいつも安吉にはたのしい。杉葉を栓にした瓶をさかさにすると丼のなかへ下地が落ちてくる。葱に縦に切れ目を入れておいて今度は小口からちょんちょんと刻んで行く。そばを入れた目ざるを釜につけて、急に引きあげて振って湯を切るしぐさ。うしろの小引出しから鰹節のかいたのを出してふりかけ、また別の小引出しから焼海苔の切ったのを出してのせ、また別の入れものから茶いろの筍ようのものを割箸でつまんで入れ、ままごと用のような小さな板の上で、ふちを赤く染めた焼豚を削るようにして殺ぎおとしてそれを一枚か二枚入れ──それを入れるか入れぬかで十銭のと十五銭のとが別れる。──割箸でなかのそばを解きほぐすようにして、ブリキ罐入りの唐芥子をそえて「へえ、おまちどおさま……」といってさし出されるまでの湯気のなかでの一幕。
「へ、おまちどおさま……」といって出されたのを左手に取って、右手の箸をロヘ持って行って歯で割ろうとして安吉は不意と不安になった。そういえば、ぼんやり眺めていて、「あ、豚を入れるナ……」と思ったはずだった。
「おじさん、これ十銭かい。」と安吉は丼を中途半端にしたままできいた。
「いえ、十五銭いただきます。」
「そうか……」
あしたの朝めしまで、このすき腹はそのままだナということをとっさに頭にえがきながら安吉は丼を台の端におろした。
「おれ、十銭きゃ持ってないんだ。」
「ようがす。ようござんす。どうぞめしあがってください。」
「そうか。」自然にそれが安吉の口から出た、「じゃ、御馳走になるよ。あした持ってくる。」
「いえ、よござんすよ。持ってきていただかなくって結構です。御馳走いたします。」
「そうか。じゃア食うよ。」
安吉は幸福になって、相手にそれほど迷惑をかけたという感じなしに食ってお礼をいってそこを出た。
彼は、白山の高みから柳町の方ヘー散に下りて行った。その奥に何とかいう大印刷工場のあるへんから交番の横をはすかいに折れこんで行った。いつもの埃っぽい窪地の路地を右に左にとっとっと縫って行った。伝通院の横腹ののぼり坂が出たときそれは安吉を元気づけた。よじのぼるような気組みで彼は坂をのばった。そして、伝通院前停留所から今度はひろい坂をくだって、右へ折れて歩調をゆるくして塾の門へ近づいた。
(『むらぎも』p.81〜p.84 中野重治/講談社学芸文庫)
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そのとき安吉はまだ小石川金富町に住んでいた。伝通院前を江戸川大曲の方へだらだらと下りて行ったところ、そこに金富町があって、電車通りからちょっとはいったところに、田舎町の登記所みたような建物で立っているのが彼らの若越塾だった。大学入学で東京へきた最初、安吉は駒込神明町で酒屋の二階に下宿していた。従兄弟にあたる青年が兄弟二人でそこで酒屋をしていたからだった。安吉はそこで、本郷界隈の風俗にいくらか親しむことができた。やがて酒屋は本所松井町へ引っ越して行った。安吉もついて行った。そこで安吉は、大地震で焼きはらわれたあとの本所風俗、あおいものの一本もない、鉛いろの空の下での、夏場赤痢がはやってくるとどっと安くなった鮪を食う本所風俗にいくらか親しむことができた。まもなく兄のほうが嫁をもらうことになった。田端の鶴来たちのところで夜ふかしして、泊まれというのに無理に帰る時なんぞは歩くのに遠すぎるということがそこに出てきた。安吉は新しい下宿をさがしたがなかなか見つからない。彼は父親から月々四十円送られていて、大学生としてひどく貧しくはなかったが、下宿屋を探すとなるとそれでは話にならなかった。そのうちに従兄に嫁がきてしまった。せっぱつまって彼は若越塾にあたってみた。とても行くまいと思っていたのが案外にすらすらと運んだ。本郷へも遠くない。歩いて十分行ける……
その便利な位置がしかし不便な位置でもあった。清水町合宿での研究会へ時間かつかつに駆けつけるときなど、道をいくら急いでも市電を使うことができない。谷中清水町と江戸川大曲とを結ぶ線にたいして、市電の線は、神明町から上野山下へくるのにしろ、駒込橋から神田方面へ行くのにしろ、巣鴨から春日町を通って行くのにしろ、どれも斜めにまじわっていた。たった一つ、本郷三丁目から伝通院を通って大塚へ走る線があり、これだけは方向に沿っているといえなくはなかったが、コース全体から見ればやはり話にならかった。方向としてコースに沿っていても、コースそのものからはかなり離れて、短い切れっぱしとしてそこにあるというまでだった。電車のこの路線関係は、あいまいな気分といった形で、人生そのものの路線関係図といったものを安吉に暗示することがあった。小学から中学へという具合に、貧乏な子供にも教育を受けて行く道はあることはある。仕事から仕事へと求めて行って、生活の幸福をつかむ仕組みが法律的にもできていることはいる。男と女とがめぐり合って、恋がうまれ、結婚生活がうまれ、子供ができ孫ができしていい老年期が迎えられる路線もできていないことはない。そしてすべて人がきてそれを利用するのに任されているけれども、それでもやはり、そのどれをも利用しようにも利用しようのない生活の区域、人間の条件・状態というのがあるものだ。人が同情してみたところで、さしあたって見殺しにするほかはない。それも本人のせいでは決してないのだ。谷中清水町と伝通院金富町とを結ぶコースがちょうどそれだった。しかしそれよりも、むろん、方向ちがいの電車を二つも三つも乗りかえて、さほどでもない距離を、ともかく脚でなく辿りつくなぞは安吉のからだの元気が我慢しなかった。安吉は歩いてかよった。伝通院の正面中門にむかった幅のひろい坂をのぼり、寺院の塀についてうねうねと細い坂を曲がってくだり、八千代町、戸崎町の貧民街窪地へ降りて行き、何とかいう小寺の境内をいくらか無法な感じで通りぬけ、そのへんで見当をつけて、丸山町へんの屋敷町高台へ出る急な坂のどれか一つをのぼり、追分の通りへ出て、それから大学と第一高等学校とのあわいの急な坂をどんどん下りて行って藍染橋の交番のところに出、電車みちを踏み越して今度は善光寺坂のひろい敷石道をとっとっとのぼって行く。真冬でも汗になってくるこのコースを歩くことは、安吉には肉体的な楽しみでもあった。
(『むらぎも』p.73〜p.75 中野重治/講談社学芸文庫)
「腹がへったナ……」
それを安吉はさっきから気づいていた。藍染橋から坂へかからないで、八重垣町から根津をのぼったのはそれにも関係していただろう。そうと意識しないままに、彼は、白山の通りに出ているはずのシナそば屋を予想していたのだった。沢田のところを出てから安吉はワンタンを晩めしに食っていた。そして電車賃だけ残して──電車で帰らぬことがわかっていてやはり彼はそうした。──シュウマイを一皿食った。いま安吉は、ズボンのポケットに十銭白銅一枚だけ残っているのを知っていた。どうしてもそこに、白山と肴町とのあいだの、二本の電車みちをつなぐあの鼓の胴のようになった通りに、湯気があちこちして屋台が出ていなければならない……
根津のごろた石の多い坂はとっくに通りすぎていた。何とかいう薬学専門学校のところも通りすぎていた。何かおるか知らぬなりに勝手知ったという感じの道をどんどん歩きぬけて行って、本郷の電車みちへ出た彼は頭を低くするようにして目あての通りへ急いだ。
彼は胴の通りへ折れた。屋台は、やはり湯気を動かして灯をともしていた。電車みちは両方ともがらんとして、安吉に見えるかぎりは一つも人通りがなく、屋台の横丁は屋台以外はまっくらくなって寝入っていた。屋台は通りのまんなかへ出ている。灯のとどく範囲だけぼうっと見えてそれなり闇のなかへ消えて行く湯気。屋台のおやじの使うごく軽いうちわの音。屋台全体がいかにも粗末に出来ていることがいかにも屋台を生きたものにする。湯気のあったかさ、湯気の幕をくぐりぬけて顔を突っこむ一種のよろこばしさで安吉は湯気のなかへ顔を突っこんだ。
「へえ、いらっしゃい。」
「そばをくれ……」
それをこさえるところを見ているのがいつも安吉にはたのしい。杉葉を栓にした瓶をさかさにすると丼のなかへ下地が落ちてくる。葱に縦に切れ目を入れておいて今度は小口からちょんちょんと刻んで行く。そばを入れた目ざるを釜につけて、急に引きあげて振って湯を切るしぐさ。うしろの小引出しから鰹節のかいたのを出してふりかけ、また別の小引出しから焼海苔の切ったのを出してのせ、また別の入れものから茶いろの筍ようのものを割箸でつまんで入れ、ままごと用のような小さな板の上で、ふちを赤く染めた焼豚を削るようにして殺ぎおとしてそれを一枚か二枚入れ──それを入れるか入れぬかで十銭のと十五銭のとが別れる。──割箸でなかのそばを解きほぐすようにして、ブリキ罐入りの唐芥子をそえて「へえ、おまちどおさま……」といってさし出されるまでの湯気のなかでの一幕。
「へ、おまちどおさま……」といって出されたのを左手に取って、右手の箸をロヘ持って行って歯で割ろうとして安吉は不意と不安になった。そういえば、ぼんやり眺めていて、「あ、豚を入れるナ……」と思ったはずだった。
「おじさん、これ十銭かい。」と安吉は丼を中途半端にしたままできいた。
「いえ、十五銭いただきます。」
「そうか……」
あしたの朝めしまで、このすき腹はそのままだナということをとっさに頭にえがきながら安吉は丼を台の端におろした。
「おれ、十銭きゃ持ってないんだ。」
「ようがす。ようござんす。どうぞめしあがってください。」
「そうか。」自然にそれが安吉の口から出た、「じゃ、御馳走になるよ。あした持ってくる。」
「いえ、よござんすよ。持ってきていただかなくって結構です。御馳走いたします。」
「そうか。じゃア食うよ。」
安吉は幸福になって、相手にそれほど迷惑をかけたという感じなしに食ってお礼をいってそこを出た。
彼は、白山の高みから柳町の方ヘー散に下りて行った。その奥に何とかいう大印刷工場のあるへんから交番の横をはすかいに折れこんで行った。いつもの埃っぽい窪地の路地を右に左にとっとっと縫って行った。伝通院の横腹ののぼり坂が出たときそれは安吉を元気づけた。よじのぼるような気組みで彼は坂をのばった。そして、伝通院前停留所から今度はひろい坂をくだって、右へ折れて歩調をゆるくして塾の門へ近づいた。
(『むらぎも』p.81〜p.84 中野重治/講談社学芸文庫)
「承知いたしました。じゃア、気イつけて行ってらっしゃい。」
玄関の戸をうしろ手にしめて、わけのわからぬ急きたてられた思いで安吉はすぐの路地を曲がった。わけはわからぬがしきりに心が急く。ここいらは、てんで理窟にあわぬ細みちの曲がり方で埋まっていて、しかしそれが、だれかが我意を張った結果とも一概には思えなかった。どの路地の人にも、全部不便なように細みちがつながっている。無計画と成行きまかせ──よそから傍観的に見て細民街という発音でよぶときの調子、あれが、家のつくり方、道のつくり方にまでよく出ていた。どしどしと暗くなって行く。そうでなくてももの悲しいような夕餉の用意どきが、大きなストライキが靄のように降りてきてるのに包まれて、家々の台所の用意が、品物についてでなくて、そこでの細君のとつおいつ、ため息、思わぬ工夫について、ミニアツールのようになって目に見えてくる。そしてそれが、幻灯か石油ランプかのように黄いろっぽい。
方位感覚のない安吉も、どこかならどこかに実際に住めばその範囲だけはよくわかる。ここのところ張込みを用心してきているだけに、このへんは、やはり勝手知った場所といった感じで安吉は路地を縫って曲がった。
(『むらぎも』p.297~p.298 中野重治/講談社学芸文庫)
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〈記録〉
小石川 白山 水道橋 MAY.31,2016/制作:北川裕二
https://www.youtube.com/watch?v=G0s3xM1MpWc
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〈記録〉
小石川 白山 水道橋 MAY.31,2016/制作:北川裕二
https://www.youtube.com/watch?v=G0s3xM1MpWc
by rojitohito
| 2016-05-31 10:00
| 2016年終了イベント