ブライアン・ホウ 一周忌記念追悼『ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1』上映会ー
2012年 05月 21日

2011年6月18日、この世を去ったイギリス反戦運動のシンボル、
Brian Haw(ブライアン・ホウ)。
路地と人では、今年の6月16日、ブライアンの一周忌を記念して、
ブライアン・ホウと、ブライアンの仲間たちを捉えた
ドキュメンタリー映画『ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1』を、
監督の早川由美子さんを招きして上映致します。
また追悼に合わせて用意された特別映像、
ブライアンからの日本へのビデオメッセージも上映致します。

“表現の自由、デモ活動の権利を奪おうとする政府や警察に、
たぐいまれなる勇気とユーモアで対抗し続ける彼ら。
その姿は、観る人全てに勇気と希望を与える…!”
今からちょうど11年前、2001年6月2日にイギリスはロンドンのど真ん中、
パーラメント・スクエアにやってきたブライアン・ホウ。
まずブライアンは「イラクの子どもたちを殺すな」と叫び、反戦のプラカードを掲げます。
その日からブライアン・ホウの年中無休の抗議活動は始まりました。
ロンドンの国会議事堂前で日々、反戦を叫ぶブラアイアンの声は、
人々の心を動かし、仲間が集い、いくつものプラカードが立ち始めます。
イギリス議会の妨害に合いながらも、2011年肺がんに倒れるまで抗議は続き、
そして2011年6月18日、ブライアンはついに永えの眠りにつきました。


ーひとつのマイクロフォンから、ヒューマンマイクロフォンへー
“We are ALL Brian!! ”ーby イルコモンズ
2011年は、チュニジア、エジプトなどでの民主化運動 “アラブの春”にはじまり、
スペイン、アメリカのN.Yウォール街占拠と、
世界各地で人々が社会変革を求めて立ち上がる民衆蜂起の波が起こりました。
N.Y占拠では、特定のリーダーだけがマイクロフォンを握るのでなく、
そこに集まった人々、ひとりひとりがヒューマン・マイクロフォンとなって抗議の声をあげました。
そんな世界規模でのプロテスター(抗議者)たちの声が渦巻くなか、
マイクロフォンと、たくさんのピンバッチのついた帽子を残してこの世を去ったブライアン。
たったひとりの抗議から始まった、ブライアンと仲間たちの闘いの日々、
彼らが守ったもの、残したものは何だったのか、
激動の年を越えた2012年の日本に生きるわたしたちに、
ブライアンと仲間たちの意志はどう紡がれるのか。
自分に中に『パーラメント・スクエアSW1』見出すこと、
自分たちの手で暮しを守っていくこととはどんなことなのか、、etc.
「ブライアンと仲間たち」を観ながら、そんなふうなこともお話できればと思います。
また今回の特別映像、ヒロシマ映画祭においてのブライアンからの日本へのメッセージも、
今、核や原発問題で揺れる日本にとって、新たなメッセージとなることと思います。
みなさまのお越しを心よりお待ちしています。
“こんにちは、ブライアン。
こちらからの声、聴こえますか?”
■「ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1」
(2009年/約97分/監督/撮影 早川由美子)
イギリス反戦活動のシンボル、ブライアン・ホウを、約1年半に渡って追い続けたドキュメンタリー。
イギリス国会前の広場にテントを張って生活しながら、8年以上家にも帰らず、
英米政府のテロ撲滅戦争に反対するブライアン。
映画は、ブライアンと彼のサポーターたちのインタビュー映像を交え、
国家の圧力により表現の自由が脅かされている現状と、
それに対してユーモアあふれる精神で果敢に対抗する人々の姿を伝える。
(2009年度日本ジャーナリスト会議・黒田清JCJ新人賞受賞作品)
■早川由美子(はやかわゆみこ)
1975年東京都出身。成蹊大学法学部、London School of Journalism卒業。
公務員、会社員を経て2007年に渡英。
ロンドンでジャーナリズムを学ぶ傍ら、独学で映像制作を開始。イギリスの平和活動家Brian Hawを記録した初監督作品『ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1』は、2009年度日本ジャーナリスト会議・黒田清JCJ新人賞を受賞。日本各地、イギリス、トルコなどで80回以上上映を重ねた。
2作目は、公共住宅問題をテーマにした『さようならUR』。国内外で4年近くの”居候生活”をしながら映像制作を続ける、監督自身の生活環境から生まれた作品。昨年、山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映され、第1回スカパー!IDEHA賞を受賞し、話題となった。
www.petiteadventurefilms.com
by rojitohito
| 2012-05-21 21:46
| 2012年終了イベント