民族文化映像研究所の記録映画の上映会をはじめます。

民族文化映像研究所は1976年以来、日本の庶民の生活と文化を記録しつづけてきました。自然、生活、手しごと、風習など、そこに映し出されているのは、ついこの間まであった、自然とともに生きる日本人の暮らしの風景です。

この上映会をつうじて、日本の基層文化を見つめなおし、私たちの「これから」を考えてみたいと思います。


日時:2017年1月28日(土)18:30 open / 19:00 start

料金:1.000円

*予約不要


【上映作品】

奥会津の木地師|1976年55分|自主制作

福島県南会津郡田島町針生
文部省特選/日本映画ペンクラブ推薦/1976年キネマ旬報文化映画ベストテン3位

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©民族文化映像研究所


民族文化映像研究所の代表作のひとつ。

日本列島には、近年まで移動性の生活をする人々が活躍していました。山から山へ移動して椀などの木地物をつくる木地師も、そのなかにありました。昭和初期まで福島県南部の山間地で盛んに移動性の活動をしていた木地師の家族、小椋藤八さん、星平四郎さん、星千代世さん、湯田文子さんによる、当時の生活と技術の再現記録。

*上映終了後にシェア・トークを行います(参加自由)


作品詳細https://www.facebook.com/1589550734592252/videos/1659641190916539/?pnref=story


***


【次回以降の上映作品】

「山に生きるまつり」(2月)
宮城県の銀鏡(しろみ)神社では12月12日から16日にかけて霜月のまつりが行われ、狩りで狩られたイノシシの首を前に33番の神楽が舞われる。神楽は三つの構成をもつ。一つは神々の降臨を願う神楽。面をつけないで舞われる。二つ目は真夜中から夜明けにかけて行われる、面をつけた、神々の降臨の神楽。三つ目は、夜明け以降に行われるもの。ずり面とよばれるリアルな面をつけ、ユーモラスな所作で生命の誕生や作物の豊穣をあらわす。

「チセ・アカラーわれら家をつくる」(3月)
1972年の春、萱野茂さんら二風谷(にぶたに)の人々によって行われた伝統的な家づくりの記録。祈りに始まり、祈りに終わるアイヌの知恵と技術、信仰と儀式による家づくりの始源のドキュメント。

「秩父の通過儀礼」(4月)
①安産祈願から帯解きまで
人には一個の生命体としての、また社会的な存在としての成長段階がある。そに段階を無事に通過し、健やかな人間に成長してゆくように、多くの通過儀礼を生み出してきた。1979年から5年間、秩父の通過儀礼を5編に記録してきた。その1作目は安産祈願から7才の帯解き祝いまでの記録である。
②子どもザサラから水祝儀まで
秩父地方の7才から15才までの子どもたちの通過儀礼の記録である。秩父では「7才までは神の子」というが、7才の帯解き祝いを終えると村の子となり、行事の担い手に加わる。そして15才、水祝儀を受けて一人前の村の成員となる。その間に村の大切な行事を担い、子どもだけの集団生活を経験し、村の成員となる準備をする。

「うつわー食器の文化」(5月)
日本のうつわ。それを成り立たせた木、土、水。そして人々の知恵。ふだん何気なく使っている食器の源流と今日にいたる足どりを求めて、北海道から沖縄まで日本各地を訪ねた、映像による「食器文化」探訪記。
声(解説) 宮本常一

「竹富島の種子取祭」(6月)
沖縄県八重山諸島にある竹富島では、旧暦9月あるいは10月の〈つちのねえ〉の日を中心にした10日間、タナドゥイ・種子取祭が行われる。
【映画に収録している演目】
■庭の芸能:太鼓/マミドーマ(よく働く女)/ジツチュ(十人)/マザカイ(真栄え)/クイチャブドイ(声を合わせて豊年を祝う踊り)/腕棒/ウマンシャー(馬乗り)
■舞台の芸能:ハザマホンジャー(玻座間大長者)/カザヌキョンギン(鍛冶屋狂言)/ユーヒキキョンギン(世曳き狂言)/アブジキョンギン(老人狂言)/アマンチ(天人)/タケドンブシ(竹富節)/サングルロ(穀物の俵を数え転がす)



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# by rojitohito | 2017-01-28 21:27 | 2017年終了イベント | Comments(0)

懐烟画譜

画論を読む茶話会に並行して、画譜に習う筆墨の集まりを始めます。

鉛筆と洋紙ノートの普及以前、日本では中国の漢字文化圏の下育まれた筆墨による筆記が専ら行われておりました。

当然絵画においても同じ道具が用いられたわけですが、さて、その時代の絵画学習は一体どのように行われていたのでしょう。

例えば、絵師の徒弟となった場合には、師匠の描いたお手本を模写することで、筆の使い方、モチーフの捕らえ方などの基礎を築き、その上で古きを守るに務めたり、さらに自らの特色を工夫し盛り込むなどしながら一人の画風を育む、といった大まかな学習過程があったようです。

また、さまざまな絵を見るために寺社や個人宅を訪ね、手控えに簡略にその構成を写し取ったり、場合によってはその絵を借り受けてこれを実寸大で模写をする。それは、今日のように印刷物や画像データで多様な絵画を手軽に見られる状況にはなかった時代に、彩色法や筆法などの技術、画面構成、各種画題と、さまざまな情報を獲得するための必要手段でもあったことが想像されます。

江戸時代、町人階層が豊かになるにつれ、出版も次第に盛んになってゆきます。
それまでは師弟関係を中心として得られるものであった上記の絵画に関する情報もまた、版に起こされるようになります。これに先行して、中国大陸では明末清初にかけて出版が盛んとなり、挿絵から展開して図像を集めた書籍、そして絵画に関する書籍の出版が行われました。これらは儒者らの手を介す等して日本へも輸入・紹介され、写本の作成はもとより、それら国内版の作成や、絵師による各種翻案版の作成にいたるなど、以後絵画へ出版物へと影響をもたらしました。

この会では、こうした画譜をもとに実際に写本を作成しながら、筆墨で行う絵画学習を追体験し、また、今日どこか断絶した感のあるその造詣意識にとゆるやかに触れる機会にしていければと考えております。この作業が、体験者それぞれの造詣意識や文化史上の問題意識にと結びついて、何がしか今日なりの可能性を再発見するための手掛かりになれば、と願ってもいるわけです。

この会では、まず自分の使うノートを半紙でつくるところから始めます。
そして写本を作成する為のテキストは先ず『芥子園画伝』から始めたいと思っております。『芥子園画伝』は、江戸時代中期以降の日本の漢画に新たなシーンを築き、その学習の支えとなったといっても過言ではない、理論書と図録を兼ねたテクストと云えましょう。

月一回、それぞれのペースで、筆墨に親しむ機会にとしていければと考えておりますので、小学校・中学校以来という方も、書道のお道具をお持ちいただき、お気軽にご参加いただければと思っております。なお、ご参加の方は各自墨(固形の物)と筆をお持ち下されたく存じます。
一人一巻の写本『芥子園画伝』が揃う日を楽しみに。
(中西レモン)


懐烟画譜によせて
 少し前まで、街中で歩いていても書き慣れた毛筆の注意書きなどを見かけることがあったが最近ではめっきり見ることがなくなった。恐らくは二十年ほどのことかと思うが、これに気づいたのは大阪千日前の書店で行草の商品紹介を掲示をしているのを見たときである。
主人の趣味もあるのだろうけれども、確かにこの様な掲示は見たことがあったから、かかる書店の掲示は習慣を変えないままきてしまったのだろうと思われた。
行体は読めるにせよ、現在草体はどれくらいの人が読める、いや文字として目にとめるだろうかと同時に感じたのを覚えている。だいたい手書きの掲示物すら一部の寺院で見るくらいしかもう見かけなくなった世間ではある。その中で手書きを模した書体もあり、手書きそのものも数ある趣味の一部と漠然と分類されるという感もある。

文化とは不断に更新されるがその足音は静かなようである。私はさまざまの変化に無頓着であるが、あるときある拍子に、私たちが過去に親しんだ、ある習慣が思い出されることがある。その時間的な飛躍は優に一世代を超えて、我々がしたこともない髷を頭に乗せていた頃が立ち現われることもあるのである。

たとえば何かしらかの色のある粉をつなぎを入れて練った物をまた溶いて、それを毛を束ね、それに持ち手として棒をつけたものを使い筆記する事は、絵を描いた経験ある者にとってみれば日常茶飯である。
この行為の単純は今回対象としている墨を使った画が描かれたところと全く変わりがないのである。
ひとたび各々比較すれば、自ずと似ているところを見、また如何してか似ていないところも認めることになるだろう。

たまさか我々の遊ぶ文化の持つ起伏の上を、親しみと新鮮さを以って散策してみることとしよう。
(高村健志)


・・・・・



懐烟画譜

ゆるやかに画譜を模写しながら筆墨に親しもうという集まりです。

1月23日(月)※月1回の開催予定
時間 19時〜
場所 路地と人
参加費1000円
初回の方も歓迎。半紙を用いて今後使うノート作りから始めます。要予約(rojitohito@gmail.com)初回の方は素材・資料代で1500円


*内容は、『芥子園画伝』を筆頭に順次画譜の写本作業を、それぞれのペースで進めます。
ご希望の画譜がある場合にはご相談ください。

参加希望の方・・・小中学校時代にお使いの書道セットをお持ちの方は書道セットをご持参下さい。
また、書道セットをお持ちでない方は、ご自身の筆(小筆で大丈夫です)と墨(固形の物)をお持ちください。
会を継続される方でご希望の方には、道具購入の相談に応じます。懇切丁寧にあてずっぽうの情報をお伝えいたします。


・・・・・


高村健志
昭和59年10月23日神戸市生まれ、通算引っ越し回数7回を経て画家、現在に至る。

中西レモン 
ぶらぶらしてる人。あれこれ首をつっこんできまして、このごろは庶民の唄と踊りと物語、あと絵画にも関心が回帰してきているようです。
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# by rojitohito | 2017-01-23 00:00 | 2017年終了イベント | Comments(0)
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12月25日(日) 18:00 - 22:00 入場無料/入退場自由

25日夕刻より、路地と人にてグリムの昔話語りをします。

4時間、路地と人を開放し、タイムラインに沿って昔話をよんでいきます。
部屋にはすこしばかりのワインと、ささやかな食べもの、
昔話についてのレジュメも置いておきます。

昔話を聴いてみたい方、
どこかに行きたいけど、行くあてもない方、
ただぼんやりしたい方、
どなたでもすきな時間にいらして、聴いたり、たべたり、眠ったりしてください。

- 唄え、メルヒェン -

今から約200年前、1812年のクリスマスも近い頃、
ドイツのヤーコプ・グリムとヴィルヘルム・グリムの兄弟は、
失われつつあった口語りの物語を一冊の本にまとめ、
「グリム童話集(原題:子どもと家庭のためのメルヒェン)」として出版しました。
彼らが望んだのは、この「のこされたわずかな詩」を
「まずしく、つつましやかな人びと」に分け与えられること。

現代では絵本や本など活字として触れることが多い昔話ですが、
もともと昔話=メルヒェン は、何百年ものあいだ、
口で語られ、耳で聴かれてきた形のない文芸で、
語り手によって語られる、その時間のなかだけに存在してきました。
時間のなかで存在してきたという点で、音楽と似た性質、
独特な語り口や物語のリズムをもっているようです。

グリムが採集した人々の記憶のなかのメルヒェンは、
世界に広がり、いまでは日本のこどもたちにも広く知られています。
1812年の第1版から最終版の第7版(1857年)の45年のあいだに、
グリム童話も、語りの文学から読む文学へと形を変えてきました。
いま「グリム童話集」といわれるものは第7版のものが一般的になりますが、
25日には口語りの要素がまだ残されている
「グリム童話集 第二版」(1819年版/小澤俊夫訳)から5話、抜粋して読みます。

またことしはグリムの昔話だけでなく、
大みそかに現れた貧乏神のお話、
「大みそかの金馬」という日本(東京・八王子)の昔話と、
「語りつぎたい みやぎの民話」より宮城のお話も読みます。

昔話のなかには、命を奪う残酷なお話もありますが、
生まれ死にゆく生命のさまと向きあうこと、
そこに昔話の本質があり、この非寛容の時代に、
おおらかに、たくましく生きることの手立てがあるようにおもいます。

わずかに のこったこれらの詩を、善意の手にゆだねます。
そこにひそんでいる、祝福される力を信じながら。

原田淳子/原田企画


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12月25日(日) 18:00 - 22:00 入場無料/入退場自由

 18:15 神さまのけだものと悪魔のけだもの 8min

 18:45 灰かぶり 20mini

 19:20 日本昔話・宮城 5mini

 19:45 名付け親になった死神 8mini

 20:15 大みそかの金馬 (日本昔話・立川) 8mini

 20:45 白雪姫 25mini

 21:30 星の銀貨 8mini

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“わたしたちがもとめているのは、
不正なこともかくさない正直な物語の真実のなかにある純粋性です。
 …
 わたしたちはこの本を、善意の手にゆだねます。
 そこにひそんでいる、祝福してくれる力を信じながら。
 そしてわずかにのこったこれらの詩を、
 まずしい人、つつましやかな人たちによころんでわかちあえない人たちの目には、
 ふれないでほしいとねがっています。
 1819年 カッセルにて”
 ヤーコプ・グリム、ヴィルヘルム・グリム「1819年第二版序文より」

 (「グリム童話の誕生」小澤俊夫著一部抜粋)

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“…やがて、また別の男が近づいて来て、「わしを名づけ親にしなさい」といった。男は、
「おまえさんはだれだね」と、きいた。
「わしは死に神じゃ。わしは、すべてのものを平等にあつかう」すると男がいった。
「あんたがいい。あんたは金持ちも貧乏人も区別なしにつれていくからな。
 あんたに子どもの名づけ親になってもらおう」”「名づけ親になった死に神」


“昔むかし、あるところに、小さな女の子がいました。
 女の子は、お父さんもお母さんも死んでしまって、ひとりきりでした。
 とてもまずしくて、住む家もなければ、ベッドもありません。
 しまいには、今、着ている服と、手に持っているひときれのパンのほかは、
 何ひとつなくなりました。”「星の銀貨」

絵:オットー・ウベローデ(「語るためのグリム童話」小峰書店)

参考文献
小澤俊夫「グリム童話の誕生 聞くメルヒェンから読むメルヒェンへ」朝日新聞出版
小澤俊夫「昔話の語法」福音館書店
「完訳グリム童話」小澤俊夫訳/ぎょうせい
「語るためのグリム童話」小峰書房/監修:小澤俊夫/再話:小澤昔ばなし研究所
「日本昔話の型」関敬吾著/小澤俊夫補訂
「みやぎ民話の会叢書第十四集 語りつぎたい みやぎの民話」再話:小野和子
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# by rojitohito | 2016-12-25 15:01 | 2016年終了イベント

朗読室+報告会

【 a: 】からはじめる〜


「旅とことば」

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日時:12月23日(金・祝)
第一部 報告会
13:00~15:00(入場無料)
第二部 朗読室
15:15~17:15(入室料 500円・肴付き)
場所:路地と人
(第一部・第二部共に、途中入退室自由)





今年一年
路地と人にて
冊子【 a: 】を巡って
朗読室を行って来ました。
その締めくくりとして、
9月末に冊子取材の為に訪れた
韓国への旅
冊子内だけでは収まらない
旅ならではの体験をご紹介する報告会と
それにまつわる朗読室を行います。

是非お越し下さい。


**


第一部 報告会

旅をしてきました。
3泊4日、仁川。5泊6日、ソウル。
2016年、9月の終わりから10月の頭にかけ、約10日間の旅。

旅行ではなく、「旅」と言いたくなるのは、「今」だけではない時間を感じたから。

歴史とは、いつどこで区切られるのでしょう。
韓国で感じたのは、「続いている」という事。

仁川の上り坂も、港も。
ソウルの喧騒も、布の美しさも。

そして、そんな中出会う、歴史的建造物たち。

まだまだ続いていて、うごめいている。
「それはいつから?どこから?」という、たくさんの「?」に出会う毎日。
幸運な出会い。

大きな渦の中を、地に足をつけて歩いて来ました。
お茶を交えながら、旅の片鱗をお話できたらと思います。

佐々木智子



※佐々木智子
小冊子【 a: 】編集。
言語だけではない、芸術を含めた様々なことば性」について考える冊子。第1号出版を来年春に控え、現在制作中。
(冊子名の【 a: 】は発音記号に由来)




***



第二部 朗読室

旅とことばを味わうこと
から生まれるコト


旅とはなにか
ことばからたどる


声にしたい
ことばをもって
お越しください。
聴きたいだけでも構いません。
お待ちしております。

ことばのこえの企画 クゼナミコ、企画協力/【 a: 】編集長 佐々木智子)

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# by rojitohito | 2016-12-23 21:10 | 2016年終了イベント | Comments(0)

湯立ての夜

【湯立ての夜】
12月17日(土)
19時半開場
20時開始、21時終了
出演:羽純


「からっぽの箱をあけて
来るべきものを待ち受けていよう。」

湯立てという神事が
わたしたちの国にはあります。

祭りの場を構築するために、祝詞を詠みあげ八百万の神々を招く。そして清浄な湯献じ、その利益を受けとるのです。

今回はその現場を再現したいと思います。
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# by rojitohito | 2016-12-17 22:20 | 2016年終了イベント | Comments(0)

歓迎会

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路地と人では、この度、
運営新メンバーを歓迎いたします。

関心のある方、まずはお話してみませんか。
ご来室、心よりお待ちしております。

「歓迎会」
2016年12月14日(水)
19:30-22:00

参加費・予約不要
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# by rojitohito | 2016-12-14 00:00 | 2016年終了イベント | Comments(0)

懐烟画譜

画論を読む茶話会に並行して、画譜に習う筆墨の集まりを始めます。

鉛筆と洋紙ノートの普及以前、日本では中国の漢字文化圏の下育まれた筆墨による筆記が専ら行われておりました。

当然絵画においても同じ道具が用いられたわけですが、さて、その時代の絵画学習は一体どのように行われていたのでしょう。

例えば、絵師の徒弟となった場合には、師匠の描いたお手本を模写することで、筆の使い方、モチーフの捕らえ方などの基礎を築き、その上で古きを守るに務めたり、さらに自らの特色を工夫し盛り込むなどしながら一人の画風を育む、といった大まかな学習過程があったようです。

また、さまざまな絵を見るために寺社や個人宅を訪ね、手控えに簡略にその構成を写し取ったり、場合によってはその絵を借り受けてこれを実寸大で模写をする。それは、今日のように印刷物や画像データで多様な絵画を手軽に見られる状況にはなかった時代に、彩色法や筆法などの技術、画面構成、各種画題と、さまざまな情報を獲得するための必要手段でもあったことが想像されます。

江戸時代、町人階層が豊かになるにつれ、出版も次第に盛んになってゆきます。
それまでは師弟関係を中心として得られるものであった上記の絵画に関する情報もまた、版に起こされるようになります。これに先行して、中国大陸では明末清初にかけて出版が盛んとなり、挿絵から展開して図像を集めた書籍、そして絵画に関する書籍の出版が行われました。これらは儒者らの手を介す等して日本へも輸入・紹介され、写本の作成はもとより、それら国内版の作成や、絵師による各種翻案版の作成にいたるなど、以後絵画へ出版物へと影響をもたらしました。

この会では、こうした画譜をもとに実際に写本を作成しながら、筆墨で行う絵画学習を追体験し、また、今日どこか断絶した感のあるその造詣意識にとゆるやかに触れる機会にしていければと考えております。この作業が、体験者それぞれの造詣意識や文化史上の問題意識にと結びついて、何がしか今日なりの可能性を再発見するための手掛かりになれば、と願ってもいるわけです。

この会では、まず自分の使うノートを半紙でつくるところから始めます。
そして写本を作成する為のテキストは先ず『芥子園画伝』から始めたいと思っております。『芥子園画伝』は、江戸時代中期以降の日本の漢画に新たなシーンを築き、その学習の支えとなったといっても過言ではない、理論書と図録を兼ねたテクストと云えましょう。

月一回、それぞれのペースで、筆墨に親しむ機会にとしていければと考えておりますので、小学校・中学校以来という方も、書道のお道具をお持ちいただき、お気軽にご参加いただければと思っております。なお、ご参加の方は各自墨(固形の物)と筆をお持ち下されたく存じます。
一人一巻の写本『芥子園画伝』が揃う日を楽しみに。
(中西レモン)


懐烟画譜によせて
 少し前まで、街中で歩いていても書き慣れた毛筆の注意書きなどを見かけることがあったが最近ではめっきり見ることがなくなった。恐らくは二十年ほどのことかと思うが、これに気づいたのは大阪千日前の書店で行草の商品紹介を掲示をしているのを見たときである。
主人の趣味もあるのだろうけれども、確かにこの様な掲示は見たことがあったから、かかる書店の掲示は習慣を変えないままきてしまったのだろうと思われた。
行体は読めるにせよ、現在草体はどれくらいの人が読める、いや文字として目にとめるだろうかと同時に感じたのを覚えている。だいたい手書きの掲示物すら一部の寺院で見るくらいしかもう見かけなくなった世間ではある。その中で手書きを模した書体もあり、手書きそのものも数ある趣味の一部と漠然と分類されるという感もある。

文化とは不断に更新されるがその足音は静かなようである。私はさまざまの変化に無頓着であるが、あるときある拍子に、私たちが過去に親しんだ、ある習慣が思い出されることがある。その時間的な飛躍は優に一世代を超えて、我々がしたこともない髷を頭に乗せていた頃が立ち現われることもあるのである。

たとえば何かしらかの色のある粉をつなぎを入れて練った物をまた溶いて、それを毛を束ね、それに持ち手として棒をつけたものを使い筆記する事は、絵を描いた経験ある者にとってみれば日常茶飯である。
この行為の単純は今回対象としている墨を使った画が描かれたところと全く変わりがないのである。
ひとたび各々比較すれば、自ずと似ているところを見、また如何してか似ていないところも認めることになるだろう。

たまさか我々の遊ぶ文化の持つ起伏の上を、親しみと新鮮さを以って散策してみることとしよう。
(高村健志)


・・・・・



懐烟画譜

ゆるやかに画譜を模写しながら筆墨に親しもうという集まりです。

12月12日(月)※月1回の開催予定
時間 19時〜
場所 路地と人
参加費1000円
初回の方も歓迎。半紙を用いて今後使うノート作りから始めます。要予約(rojitohito@gmail.com)初回の方は素材・資料代で1500円


*内容は、『芥子園画伝』を筆頭に順次画譜の写本作業を、それぞれのペースで進めます。
ご希望の画譜がある場合にはご相談ください。

参加希望の方・・・小中学校時代にお使いの書道セットをお持ちの方は書道セットをご持参下さい。
また、書道セットをお持ちでない方は、ご自身の筆(小筆で大丈夫です)と墨(固形の物)をお持ちください。
会を継続される方でご希望の方には、道具購入の相談に応じます。懇切丁寧にあてずっぽうの情報をお伝えいたします。


・・・・・


高村健志
昭和59年10月23日神戸市生まれ、通算引っ越し回数7回を経て画家、現在に至る。

中西レモン 
ぶらぶらしてる人。あれこれ首をつっこんできまして、このごろは庶民の唄と踊りと物語、あと絵画にも関心が回帰してきているようです。
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# by rojitohito | 2016-12-12 00:00 | 2016年終了イベント | Comments(0)

朗読室

「語りのことば」



語りをきく
語りのことばをよむ
こえにする

さまざまに味わい
語りが自身の身体をとおることで
生まれるなにかを
まってみる



現在、路地と人にて行われている
『小森はるか+瀬尾夏美 個展 「遠い火|山の終戦」』
の会場を間借りして
展示作品に囲まれながら
出品作家である小森はるかさん、瀬尾夏美さんをお迎えして
朗読室を行います。

お二人と語り
今回の作品の語りなど
伺いながら
語りにふれ
語りを身体で考える機会になれば幸いです。

いま声にしたいことばを持っておこしください。
会場の作品を声にしたい方や
ただこの場を聴く方も歓迎致します。

**


日時:12月10日(土)
19:00〜21:00(入料室500円・肴付き、途中入退室自由)
ゲスト:小森はるか+瀬尾夏美
場所:路地と人
ことばのこえの企画 クゼナミコ)

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# by rojitohito | 2016-12-10 00:00 | 2016年終了イベント | Comments(0)
遠い火の方へと旅立つ人らを見送って
    山の中で終戦を迎えた
     あの頃こどもだった人たち
70年の時のなかで幾度も思い出しては語られた記憶に、
    いまもう一度、耳をそばだてる

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小森はるか+瀬尾夏美 個展 「遠い火|山の終戦」
2016年11月12日(土)− 12月11日(日)


土・日・祝13:00-20:00/木15:00-21:00
*初日19:00-21:00/12月9日(金)15:00-21:00/最終日13:00-17:00
月火水金休み(ただし11月23日(水・祝)は除く)

入場料無料(イベントは有料)

*会期中イベント(参加費500円)
①オープニングトーク
11月12日(土)19:00-21:00

小森+瀬尾による作品解説など

②山本唯人 × 小森+瀬尾 
12月9日(金)19:00-21:00

東京大空襲・戦災資料センター主任研究員の山本氏をお迎えし、小森+瀬尾との対談を行います。

山本唯人
1972 年東京生まれ。専攻社会学(都市研究、空襲・ 災害研究)。青山学院女子短期大学助教、東京大空 襲・戦災資料センター主任研究員。

「朗読室」〜「語りのことば」
12月10日(土)19:00-21:00

(途中入退出自由)
企画:ことばのこえの企画

いま声にしたいことばを持っておこしください。
会場の作品を朗読してみたい方や
ただこの場を聴く方も歓迎致します。

*詳細はリンクを参照

***

「遠い火|山の終戦」によせて

岩手県陸前高田市と宮城県伊具郡丸森町を中心に訪ね、終戦の前後についてのお話を聞いて歩いた。なぜ終戦について話を聞いたのかと言えば、あるおじいさんに出会ったとき、彼が「話したい」と言ってくれたからである。彼は、宮城県の山間地、伊具郡丸森町の人であった。

彼に、なぜ私たちにそのことを話したかったのかと問うと、

「俺が今にいねぐなるとす、戦死しった兄貴のごどを知っでる人が誰もいねぐねってすまうがらねゎ。それが悔すぃ。」

と言う。死者について語る人に、津波のあとの陸前高田で、幾人も出会った。語りとは、今は存在しない人間を別の誰かの中に生きさせるような行為、あるいはそのような願い、かもしれない。

そのようなきっかけがあって、おじいさんの話を聞いた。おじいさんの話を聞いていると、当時少年だった彼の姿が目に浮かぶようだった。幾度となく思い返し、語っているからだろうか。彼はまるで、ひとつひとつを追体験しながら、目の前に浮かんでいることを、ことばで描写していくように話した。70年経って も鮮やかな記憶の地点が、そこにあった。そのような地点は、大きな出来事の周りに点在するのかもしれない、という予感がした。その後、終戦の前後の記憶のある人(そのくらいの年齢の人、とも言える)に出会えば、ちょっとしたお茶飲み話をゆっくり聞くようにして、そのなかで、その頃の話を聞くようになった。

私たちが今回主に話を聞いた2つの土地は山間地(陸前高田にも山際の集落がある)であり、お話を聞かせていただいた方々の年齢層も自ずと近しくなってくる。

すると、共通点と言えそうな事柄が、ふたつ浮き出て来た。

ひとつは、お別れの風景。兵隊さんを見送った光景、その場所。その多くは、駅やバスの停留所であった。山間地のちいさな集落では、直接的な戦火は見えない。けれど、線路の先、道路の先に、出征していく兵隊さんの姿が消えていったとき、戦地は確かに地続きであるということ、彼らがもう会うことも出来ない遠 い存在となる可能性を強く思うのだ、と。またそれらの場所は同時に、戦死者の遺骨を迎え入れる場でもあった。

お話を聞いたあと、時間があれば、お別れと迎え入れのその場所に連れて行ってもらった。風景は70年の時を経て、確かに変わる。けれど、必ずどこかにその姿の片鱗を抱えている。思い出して話すという経験によって、彼らの目は、それを風景から探すようになる。

「ああ、ここだここだ、確かに残っていだったねゎ。」

彼らは、それを見つけては、目を細めていた。

もうひとつは、彼らは幼少期に体験したそのことを、70年の間にさまざまな立場に立って、繰り返し体験し直しているということ。自分が母親になったとき、 教師になったとき、孫を持ったとき。年を重ねるごとに、あのときあの人はどう思っていたのだろう、ということを考える。例えば、軍国少女だった自分が、出 征する兄の姿を見ながら泣いている母親を叱責した、というエピソード。その後ガラリと価値観が変わった社会で思春期を過ごし、自分が母親になったとき、改 めて、子を戦地にやる母親の気持ちを思う。当時の自分を全否定する訳でも、母親への怒りがすべて消える訳でもない。でももう一度思い返して、立つ場所を微 妙にずらして、辺りをじっと見直す。(戦後、とてつもない価値観の変化をどのように受け止めましたか?と問うたとき、彼女はこうも答えている——「人間は 思うよりもたくますぃもんだ、というごどさ。昨日までのことが全て嘘だどなって世界が変わっても、それに合わせるもんなのさ。何よりかにより、生きていぐ こと、だから。思想どか価値よりも、生ぎるごどがあるからねゎ。」——そのうえで、と言うことなのだと思う)そして、語る。幾度となく更新され、変化をし 続けているであろう語り。いま私たちが聞かせてもらっている語りは、いったいどういうものだろう、とも思う。誰の、実際の、ということが本当の問題なので はないだろう、という直感がある。そして、彼らが更新して来た語りが孕むズレのようなものにこそ、他者が過去を想起し得る余白がある、とも思う。

私たちが出会えるのは、現在にある風景と語りでしかない。そこから、かつてのことを思い浮かべる方法として、いくつかの語りと目の前にあるいくつもの風景 から、点在するようにある視座を得て、辛うじて像を結んでいく、ということがあるような気がしてならない。史実を記録し直したい訳ではない。誰かの主張を 助長したい訳でもない。かつてそこにあった風景を、いま、見たいと思う。その像が結ばれるような場を、つくりたいと思う。その像はおそらく私や、鑑賞者の 身体の中で結ばれるべきものである。ズレをゆったりと孕みながら。

鮮やかな記憶の折り重なりの先にある風景は、いったいどのようなものだったろう。語りによって手渡された何やら大切なそれを、出来るだけ精確に誰かに渡せる方法を、その地点を、と思う。

2016/05/21
小森はるか+瀬尾夏美

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小森はるか+瀬尾夏美
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映像作家の小森と画家で作家の瀬尾によるアートデュオ。2011年3月、ともに東北沿岸にボランティアに行ったことをきっかけにして活動を開始。2012年、岩手県陸前高田市に拠点を移し、以後、日々移り変わる風景と人びとのことばの記録を続けている。2015年、東北で活動する仲間とともに、記録を受け渡すための表現を実践的につくっていく組織「一般社団法人NOOK」を設立。現在、巡回展「波のした、土のうえ」を全国各地で開催している。
Komori Haruka + Seo Natsumi
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# by rojitohito | 2016-11-12 23:20 | 2016年終了イベント | Comments(0)

懐烟画譜

画論を読む茶話会に並行して、画譜に習う筆墨の集まりを始めます。

鉛筆と洋紙ノートの普及以前、日本では中国の漢字文化圏の下育まれた筆墨による筆記が専ら行われておりました。

当然絵画においても同じ道具が用いられたわけですが、さて、その時代の絵画学習は一体どのように行われていたのでしょう。

例えば、絵師の徒弟となった場合には、師匠の描いたお手本を模写することで、筆の使い方、モチーフの捕らえ方などの基礎を築き、その上で古きを守るに務めたり、さらに自らの特色を工夫し盛り込むなどしながら一人の画風を育む、といった大まかな学習過程があったようです。

また、さまざまな絵を見るために寺社や個人宅を訪ね、手控えに簡略にその構成を写し取ったり、場合によってはその絵を借り受けてこれを実寸大で模写をする。それは、今日のように印刷物や画像データで多様な絵画を手軽に見られる状況にはなかった時代に、彩色法や筆法などの技術、画面構成、各種画題と、さまざまな情報を獲得するための必要手段でもあったことが想像されます。

江戸時代、町人階層が豊かになるにつれ、出版も次第に盛んになってゆきます。
それまでは師弟関係を中心として得られるものであった上記の絵画に関する情報もまた、版に起こされるようになります。これに先行して、中国大陸では明末清初にかけて出版が盛んとなり、挿絵から展開して図像を集めた書籍、そして絵画に関する書籍の出版が行われました。これらは儒者らの手を介す等して日本へも輸入・紹介され、写本の作成はもとより、それら国内版の作成や、絵師による各種翻案版の作成にいたるなど、以後絵画へ出版物へと影響をもたらしました。

この会では、こうした画譜をもとに実際に写本を作成しながら、筆墨で行う絵画学習を追体験し、また、今日どこか断絶した感のあるその造詣意識にとゆるやかに触れる機会にしていければと考えております。この作業が、体験者それぞれの造詣意識や文化史上の問題意識にと結びついて、何がしか今日なりの可能性を再発見するための手掛かりになれば、と願ってもいるわけです。

この会では、まず自分の使うノートを半紙でつくるところから始めます。
そして写本を作成する為のテキストは先ず『芥子園画伝』から始めたいと思っております。『芥子園画伝』は、江戸時代中期以降の日本の漢画に新たなシーンを築き、その学習の支えとなったといっても過言ではない、理論書と図録を兼ねたテクストと云えましょう。

月一回、それぞれのペースで、筆墨に親しむ機会にとしていければと考えておりますので、小学校・中学校以来という方も、書道のお道具をお持ちいただき、お気軽にご参加いただければと思っております。なお、ご参加の方は各自墨(固形の物)と筆をお持ち下されたく存じます。
一人一巻の写本『芥子園画伝』が揃う日を楽しみに。
(中西レモン)


懐烟画譜によせて
 少し前まで、街中で歩いていても書き慣れた毛筆の注意書きなどを見かけることがあったが最近ではめっきり見ることがなくなった。恐らくは二十年ほどのことかと思うが、これに気づいたのは大阪千日前の書店で行草の商品紹介を掲示をしているのを見たときである。
主人の趣味もあるのだろうけれども、確かにこの様な掲示は見たことがあったから、かかる書店の掲示は習慣を変えないままきてしまったのだろうと思われた。
行体は読めるにせよ、現在草体はどれくらいの人が読める、いや文字として目にとめるだろうかと同時に感じたのを覚えている。だいたい手書きの掲示物すら一部の寺院で見るくらいしかもう見かけなくなった世間ではある。その中で手書きを模した書体もあり、手書きそのものも数ある趣味の一部と漠然と分類されるという感もある。

文化とは不断に更新されるがその足音は静かなようである。私はさまざまの変化に無頓着であるが、あるときある拍子に、私たちが過去に親しんだ、ある習慣が思い出されることがある。その時間的な飛躍は優に一世代を超えて、我々がしたこともない髷を頭に乗せていた頃が立ち現われることもあるのである。

たとえば何かしらかの色のある粉をつなぎを入れて練った物をまた溶いて、それを毛を束ね、それに持ち手として棒をつけたものを使い筆記する事は、絵を描いた経験ある者にとってみれば日常茶飯である。
この行為の単純は今回対象としている墨を使った画が描かれたところと全く変わりがないのである。
ひとたび各々比較すれば、自ずと似ているところを見、また如何してか似ていないところも認めることになるだろう。

たまさか我々の遊ぶ文化の持つ起伏の上を、親しみと新鮮さを以って散策してみることとしよう。
(高村健志)


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懐烟画譜

ゆるやかに画譜を模写しながら筆墨に親しもうという集まりです。

11月7日(月)※月1回の開催予定
時間 19時〜
場所 路地と人
参加費1000円
初回の方も歓迎。半紙を用いて今後使うノート作りから始めます。要予約(rojitohito@gmail.com)初回の方は素材・資料代で1500円


*内容は、『芥子園画伝』を筆頭に順次画譜の写本作業を、それぞれのペースで進めます。
ご希望の画譜がある場合にはご相談ください。

参加希望の方・・・小中学校時代にお使いの書道セットをお持ちの方は書道セットをご持参下さい。
また、書道セットをお持ちでない方は、ご自身の筆(小筆で大丈夫です)と墨(固形の物)をお持ちください。
会を継続される方でご希望の方には、道具購入の相談に応じます。懇切丁寧にあてずっぽうの情報をお伝えいたします。


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高村健志
昭和59年10月23日神戸市生まれ、通算引っ越し回数7回を経て画家、現在に至る。

中西レモン 
ぶらぶらしてる人。あれこれ首をつっこんできまして、このごろは庶民の唄と踊りと物語、あと絵画にも関心が回帰してきているようです。
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# by rojitohito | 2016-11-07 00:00 | 2016年終了イベント | Comments(0)

JR水道橋駅のうら路地にある古い建物の2階で展示や催しを行う「路地と人」のサイトです


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