中西レモン個展【連続企画 歴史による無名化(仮)】~第1回 岩倉亮介『二人の休憩』から

こちらの催しは終了しました。ありがとうございました。

中西レモン個展
連続企画 歴史による無名化(仮)


~第一回 岩倉亮介『二人の休憩』から
 2015年5月19日(火)~5月26日(火)

~第二回 岩倉亮介『エジプトのマリア』から1
 2015年5月30日(土)~6月6日(土)

~第三回 岩倉亮介『エジプトのマリア』から2
 2015年6月10日(水)~6月17日(水)

開廊時間 17時~21時(土日は15時~21時を予定)
*開廊中は主に作業風景をご覧になれます。
*初日は搬入からご覧になれます。また最終日は搬出もご覧になれます。

*この連続企画の進行・経過はこちらから随時ご覧になれます。

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~第一回 岩倉亮介『二人の休憩』から
 2015年5月19日(火)~5月26日(火)

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岩倉亮介『二人の休憩』(1989年 第11回一創会展出品)



2015年3月20日、自宅近所のリサイクル店店頭に置かれた一点の額入りの油彩画を買った所からこの展覧会は始まっています。そして展覧会期中にこの絵は失われます。

この『二人の休憩』と題されたS50号は1989年に一創会という団体展に出品されたものです。作者は岩倉亮介という近年亡くなったほぼ無名の画家です。私はこの絵を見て、約十年ぶりに自分の展覧会をやってみたいと思いました。それはこの410円で購入した絵をそのまま展示して、価値という概念を問うような展示にしてもよかったんですが、しかし、私としてはそれ以前から興味のあった無名性という形なき事柄へとこれを供したいという思いが強くなりました。私は歴史がもたらす無名性を観念化する作業を展示したいと思っています。

もう著されてから一世紀以上もたっているんですが、ハリスンと言う方が古代祭式と芸術の関係を論じています。要約すると、四季の運行といった自然現象などを人の姿などに形象化する段階があり、これは人々が生き抜く上での祈りのなかで体現される。この時点では祀られるものは神というよりもむしろ神以前の精霊の様な位置づけになるであろうと考えられます。またここでの祈りは集団合唱および踊りなどによってあらわされていたと推測されます。この、当初は生活を共にする集団の構成者全員参加で行われていた祭式も、次第に国家形成など集団の拡大と組織のありようの変化に伴い、祀られる神の性格、あるいは祭式のあり方も変容します。舞唱へ直接参加する者とこれを見る者との分離が生じ、演じる者と観賞する者といった立場が現れ、その構造の延長で次第に双方が祭式を離れた事柄へと展開していく。この流れの上に芸術と言うのがあらわれて来るのだ、といった具合です。あくまで要約ですから、語弊があるかもしれません。
さて、この芸術が生まれる迄の過程として投げかけられたこの論旨に、私はなにか改めて目から鱗のおちる思いがしました。それは表現技法の選択の自由といったような事が余りにも自明化しているように思われる環境のなかで、はたしてその論拠を改めて再構築する時にはどこに戻って、どのようにこれを求めたらよいのかと言うことに迷いがあったためです。むしろ今日にあってはフィールドワークでの資料採集は出来ても、芸術としては何も問わず、なにも為さない事の方がかえって芸術としての何かしらの方向性を体現するとも思われていたくらいです。しかし、私はこの論文と共に一つの実験をしてみたくなりました。それはかねてより興味のあった歴史における無名化です。これだけ同時代に人がいて、しかも、有名な人などが有るけれども、時間の幅の差こそあれ亡くなると途端にいなかった事と変わりがなくなてしまう。人の名も業績もそういう無常にとさらされていってしまうものです。その虚しさを前に人事を尽くす事を否定したりはしません。しかし、この無化ともいえる働きは一体何なのでしょう。人の無関心のなせるわざなのかもしれませんが、それでわかったつもりになれるような事柄でしょうか。
この作用における過渡的な段階をも含んだことば・無名化。私はこの興味を非常に短絡的かもしれませんが、ハリスンの論旨を誤読しながら表象させる実験に臨もうと思っています。擬似的とはいえ祭式の供せる贄はリサイクルショップで買った絵です。しかし、このようなたとえをしたからと言って、別に暴力的でおどろおどろしい事をしたいのではありません。むしろあっけらかんと、多くの画家がこれまでも、そしてこれからも迎えるであろう無名化を、目に見える形で展示できたらと思っているだけなのですから。
尚、この行為が祭式的であるか美術的であるかに関しては、私自身の考察はないわけではないのですが、ハリスンの論文がそれぞれの眼差しにさらされること同様、皆さんにはどこかでジャンルに固定されない、行為の行われている一つの状況として提示したいところも有ります。ですから展覧会としての性格はもちろん残しながらも、どこか商業的な意味も含め、展示スペースとしての性格が先立ってしまうような場所ではない曖昧さのある空間が似つかわしいように思われました。路地と人は、その点で渡りに船といった空間に思われます。どうぞふらっとお立ち寄りください。作業の合間、集中力の途切れた時にはお相手致しますので。

2015.4.8 中西レモンとか大谷将とか

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大谷 将/中西 レモン(おおたに まさる/なかにし れもん)

絵画制作および絵画術研究にはじまり、声・体を使った表現、さらにイメージとその表象技術・場へと関心を広げ、これらに関する制作・企画を行う。近年は専ら盆踊りを足掛かりに唄・踊り・語りについてのフィールドワークを行っている。舞木の会共同代表。
展示『掛唄』(2002年秋田・県指定無形民俗文化財金澤八幡宮伝統掛唄行事会場での展示)、『掛唄 vol.2』(2004年東京)。
展示企画『田中英世写真展―舞踏の2000年代を中心に』(2010年東京)他。
舞台企画『ちょっとした舞・踊の祭典 畳半畳』(2004年~東京他)他。
編集『インタビュー・資料集 豊島の盆踊り音頭』(2014年てしまのまど発行)。

http://angel.ap.teacup.com/remonna/

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by rojitohito | 2015-04-17 12:00 | 2015年終了イベント | Comments(0)

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