遠い火の方へと旅立つ人らを見送って
    山の中で終戦を迎えた
     あの頃こどもだった人たち
70年の時のなかで幾度も思い出しては語られた記憶に、
    いまもう一度、耳をそばだてる

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小森はるか+瀬尾夏美 個展 「遠い火|山の終戦」
2016年11月12日(土)− 12月11日(日)


土・日・祝13:00-20:00/木15:00-21:00
*初日19:00-21:00/12月9日(金)15:00-21:00/最終日13:00-17:00
月火水金休み(ただし11月23日(水・祝)は除く)

入場料無料(イベントは有料)

*会期中イベント(参加費500円)
①オープニングトーク
11月12日(土)19:00-21:00

小森+瀬尾による作品解説など

②山本唯人 × 小森+瀬尾 
12月9日(金)19:00-21:00

東京大空襲・戦災資料センター主任研究員の山本氏をお迎えし、小森+瀬尾との対談を行います。

山本唯人
1972 年東京生まれ。専攻社会学(都市研究、空襲・ 災害研究)。青山学院女子短期大学助教、東京大空 襲・戦災資料センター主任研究員。

③「朗読室」〜「語りのことば」
12月10日(土)19:00-21:00

(途中入退出自由)
企画:ことばとこえの企画

既にある誰かのつくったことば
いま生まれている自分のことば
声にしたいことばを持っておこしください。
聴きたいだけの方も歓迎致します。

***

「遠い火|山の終戦」によせて

岩手県陸前高田市と宮城県伊具郡丸森町を中心に訪ね、終戦の前後についてのお話を聞いて歩いた。なぜ終戦について話を聞いたのかと言えば、あるおじいさんに出会ったとき、彼が「話したい」と言ってくれたからである。彼は、宮城県の山間地、伊具郡丸森町の人であった。

彼に、なぜ私たちにそのことを話したかったのかと問うと、

「俺が今にいねぐなるとす、戦死しった兄貴のごどを知っでる人が誰もいねぐねってすまうがらねゎ。それが悔すぃ。」

と言う。死者について語る人に、津波のあとの陸前高田で、幾人も出会った。語りとは、今は存在しない人間を別の誰かの中に生きさせるような行為、あるいはそのような願い、かもしれない。

そのようなきっかけがあって、おじいさんの話を聞いた。おじいさんの話を聞いていると、当時少年だった彼の姿が目に浮かぶようだった。幾度となく思い返し、語っているからだろうか。彼はまるで、ひとつひとつを追体験しながら、目の前に浮かんでいることを、ことばで描写していくように話した。70年経って も鮮やかな記憶の地点が、そこにあった。そのような地点は、大きな出来事の周りに点在するのかもしれない、という予感がした。その後、終戦の前後の記憶のある人(そのくらいの年齢の人、とも言える)に出会えば、ちょっとしたお茶飲み話をゆっくり聞くようにして、そのなかで、その頃の話を聞くようになった。

私たちが今回主に話を聞いた2つの土地は山間地(陸前高田にも山際の集落がある)であり、お話を聞かせていただいた方々の年齢層も自ずと近しくなってくる。

すると、共通点と言えそうな事柄が、ふたつ浮き出て来た。

ひとつは、お別れの風景。兵隊さんを見送った光景、その場所。その多くは、駅やバスの停留所であった。山間地のちいさな集落では、直接的な戦火は見えない。けれど、線路の先、道路の先に、出征していく兵隊さんの姿が消えていったとき、戦地は確かに地続きであるということ、彼らがもう会うことも出来ない遠 い存在となる可能性を強く思うのだ、と。またそれらの場所は同時に、戦死者の遺骨を迎え入れる場でもあった。

お話を聞いたあと、時間があれば、お別れと迎え入れのその場所に連れて行ってもらった。風景は70年の時を経て、確かに変わる。けれど、必ずどこかにその姿の片鱗を抱えている。思い出して話すという経験によって、彼らの目は、それを風景から探すようになる。

「ああ、ここだここだ、確かに残っていだったねゎ。」

彼らは、それを見つけては、目を細めていた。

もうひとつは、彼らは幼少期に体験したそのことを、70年の間にさまざまな立場に立って、繰り返し体験し直しているということ。自分が母親になったとき、 教師になったとき、孫を持ったとき。年を重ねるごとに、あのときあの人はどう思っていたのだろう、ということを考える。例えば、軍国少女だった自分が、出 征する兄の姿を見ながら泣いている母親を叱責した、というエピソード。その後ガラリと価値観が変わった社会で思春期を過ごし、自分が母親になったとき、改 めて、子を戦地にやる母親の気持ちを思う。当時の自分を全否定する訳でも、母親への怒りがすべて消える訳でもない。でももう一度思い返して、立つ場所を微 妙にずらして、辺りをじっと見直す。(戦後、とてつもない価値観の変化をどのように受け止めましたか?と問うたとき、彼女はこうも答えている——「人間は 思うよりもたくますぃもんだ、というごどさ。昨日までのことが全て嘘だどなって世界が変わっても、それに合わせるもんなのさ。何よりかにより、生きていぐ こと、だから。思想どか価値よりも、生ぎるごどがあるからねゎ。」——そのうえで、と言うことなのだと思う)そして、語る。幾度となく更新され、変化をし 続けているであろう語り。いま私たちが聞かせてもらっている語りは、いったいどういうものだろう、とも思う。誰の、実際の、ということが本当の問題なので はないだろう、という直感がある。そして、彼らが更新して来た語りが孕むズレのようなものにこそ、他者が過去を想起し得る余白がある、とも思う。

私たちが出会えるのは、現在にある風景と語りでしかない。そこから、かつてのことを思い浮かべる方法として、いくつかの語りと目の前にあるいくつもの風景 から、点在するようにある視座を得て、辛うじて像を結んでいく、ということがあるような気がしてならない。史実を記録し直したい訳ではない。誰かの主張を 助長したい訳でもない。かつてそこにあった風景を、いま、見たいと思う。その像が結ばれるような場を、つくりたいと思う。その像はおそらく私や、鑑賞者の 身体の中で結ばれるべきものである。ズレをゆったりと孕みながら。

鮮やかな記憶の折り重なりの先にある風景は、いったいどのようなものだったろう。語りによって手渡された何やら大切なそれを、出来るだけ精確に誰かに渡せる方法を、その地点を、と思う。

2016/05/21
小森はるか+瀬尾夏美

***

小森はるか+瀬尾夏美
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映像作家の小森と画家で作家の瀬尾によるアートデュオ。2011年3月、ともに東北沿岸にボランティアに行ったことをきっかけにして活動を開始。2012年、岩手県陸前高田市に拠点を移し、以後、日々移り変わる風景と人びとのことばの記録を続けている。2015年、東北で活動する仲間とともに、記録を受け渡すための表現を実践的につくっていく組織「一般社団法人NOOK」を設立。現在、巡回展「波のした、土のうえ」を全国各地で開催している。
Komori Haruka + Seo Natsumi
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# by rojitohito | 2016-11-12 23:20 | これからの予定 | Trackback | Comments(0)

朗読室

「語りのことば」



語りのことばをきく
語りをきいた自身の身体に耳をすます



現在、路地と人にて行われている
『小森はるか+瀬尾夏美 個展 「遠い火|山の終戦」』
の会場を間借りし
展示作品そのままに
作家による
語りをつなぐ様々なことばに囲まれながら
出品作家である小森はるかさん、瀬尾夏美をお迎えして
朗読室を行います。

お二人と語り
今回の作品という語りについて
伺いながら
語りにふれ
語りを身体で考え味わう会になれば幸いです

既にある誰かのつくったことば
いま生まれている自分のことば
声にしたいことばを持っておこしください。
聴きたいだけの方も歓迎致します。

**


日時:12月10日(土)
19:00-21:00(入料室 500円・肴付き)
ゲスト:小森はるか+瀬尾夏美
場所:路地と人(途中入退室自由)

ことばのこえの企画 クゼナミコ)
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# by rojitohito | 2016-11-12 23:10 | これからの予定 | Trackback | Comments(0)

懐烟画譜

画論を読む茶話会に並行して、画譜に習う筆墨の集まりを始めます。

鉛筆と洋紙ノートの普及以前、日本では中国の漢字文化圏の下育まれた筆墨による筆記が専ら行われておりました。

当然絵画においても同じ道具が用いられたわけですが、さて、その時代の絵画学習は一体どのように行われていたのでしょう。

例えば、絵師の徒弟となった場合には、師匠の描いたお手本を模写することで、筆の使い方、モチーフの捕らえ方などの基礎を築き、その上で古きを守るに務めたり、さらに自らの特色を工夫し盛り込むなどしながら一人の画風を育む、といった大まかな学習過程があったようです。

また、さまざまな絵を見るために寺社や個人宅を訪ね、手控えに簡略にその構成を写し取ったり、場合によってはその絵を借り受けてこれを実寸大で模写をする。それは、今日のように印刷物や画像データで多様な絵画を手軽に見られる状況にはなかった時代に、彩色法や筆法などの技術、画面構成、各種画題と、さまざまな情報を獲得するための必要手段でもあったことが想像されます。

江戸時代、町人階層が豊かになるにつれ、出版も次第に盛んになってゆきます。
それまでは師弟関係を中心として得られるものであった上記の絵画に関する情報もまた、版に起こされるようになります。これに先行して、中国大陸では明末清初にかけて出版が盛んとなり、挿絵から展開して図像を集めた書籍、そして絵画に関する書籍の出版が行われました。これらは儒者らの手を介す等して日本へも輸入・紹介され、写本の作成はもとより、それら国内版の作成や、絵師による各種翻案版の作成にいたるなど、以後絵画へ出版物へと影響をもたらしました。

この会では、こうした画譜をもとに実際に写本を作成しながら、筆墨で行う絵画学習を追体験し、また、今日どこか断絶した感のあるその造詣意識にとゆるやかに触れる機会にしていければと考えております。この作業が、体験者それぞれの造詣意識や文化史上の問題意識にと結びついて、何がしか今日なりの可能性を再発見するための手掛かりになれば、と願ってもいるわけです。

この会では、まず自分の使うノートを半紙でつくるところから始めます。
そして写本を作成する為のテキストは先ず『芥子園画伝』から始めたいと思っております。『芥子園画伝』は、江戸時代中期以降の日本の漢画に新たなシーンを築き、その学習の支えとなったといっても過言ではない、理論書と図録を兼ねたテクストと云えましょう。

月一回、それぞれのペースで、筆墨に親しむ機会にとしていければと考えておりますので、小学校・中学校以来という方も、書道のお道具をお持ちいただき、お気軽にご参加いただければと思っております。なお、ご参加の方は各自墨(固形の物)と筆をお持ち下されたく存じます。
一人一巻の写本『芥子園画伝』が揃う日を楽しみに。
(中西レモン)


懐烟画譜によせて
 少し前まで、街中で歩いていても書き慣れた毛筆の注意書きなどを見かけることがあったが最近ではめっきり見ることがなくなった。恐らくは二十年ほどのことかと思うが、これに気づいたのは大阪千日前の書店で行草の商品紹介を掲示をしているのを見たときである。
主人の趣味もあるのだろうけれども、確かにこの様な掲示は見たことがあったから、かかる書店の掲示は習慣を変えないままきてしまったのだろうと思われた。
行体は読めるにせよ、現在草体はどれくらいの人が読める、いや文字として目にとめるだろうかと同時に感じたのを覚えている。だいたい手書きの掲示物すら一部の寺院で見るくらいしかもう見かけなくなった世間ではある。その中で手書きを模した書体もあり、手書きそのものも数ある趣味の一部と漠然と分類されるという感もある。

文化とは不断に更新されるがその足音は静かなようである。私はさまざまの変化に無頓着であるが、あるときある拍子に、私たちが過去に親しんだ、ある習慣が思い出されることがある。その時間的な飛躍は優に一世代を超えて、我々がしたこともない髷を頭に乗せていた頃が立ち現われることもあるのである。

たとえば何かしらかの色のある粉をつなぎを入れて練った物をまた溶いて、それを毛を束ね、それに持ち手として棒をつけたものを使い筆記する事は、絵を描いた経験ある者にとってみれば日常茶飯である。
この行為の単純は今回対象としている墨を使った画が描かれたところと全く変わりがないのである。
ひとたび各々比較すれば、自ずと似ているところを見、また如何してか似ていないところも認めることになるだろう。

たまさか我々の遊ぶ文化の持つ起伏の上を、親しみと新鮮さを以って散策してみることとしよう。
(高村健志)


・・・・・



懐烟画譜

ゆるやかに画譜を模写しながら筆墨に親しもうという集まりです。

12月12日(月)※月1回の開催予定
時間 19時〜
場所 路地と人
参加費1000円
初回の方も歓迎。半紙を用いて今後使うノート作りから始めます。要予約(rojitohito@gmail.com)初回の方は素材・資料代で1500円


*内容は、『芥子園画伝』を筆頭に順次画譜の写本作業を、それぞれのペースで進めます。
ご希望の画譜がある場合にはご相談ください。

参加希望の方・・・小中学校時代にお使いの書道セットをお持ちの方は書道セットをご持参下さい。
また、書道セットをお持ちでない方は、ご自身の筆(小筆で大丈夫です)と墨(固形の物)をお持ちください。
会を継続される方でご希望の方には、道具購入の相談に応じます。懇切丁寧にあてずっぽうの情報をお伝えいたします。


・・・・・


高村健志
昭和59年10月23日神戸市生まれ、通算引っ越し回数7回を経て画家、現在に至る。

中西レモン 
ぶらぶらしてる人。あれこれ首をつっこんできまして、このごろは庶民の唄と踊りと物語、あと絵画にも関心が回帰してきているようです。
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# by rojitohito | 2016-11-11 00:00 | これからの予定 | Trackback | Comments(0)

歓迎会

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路地と人では、この度、
運営新メンバーを歓迎いたします。

関心のある方、まずはお話してみませんか。
ご来室、心よりお待ちしております。

「歓迎会」
2016年12月14日(水)
19:30-22:00

参加費・予約不要
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# by rojitohito | 2016-11-09 18:00 | これからの予定 | Trackback | Comments(0)

湯立ての夜

【湯立ての夜】
12月17日(土)
19時半開場
20時開始、21時終了
出演:羽純


「からっぽの箱をあけて
来るべきものを待ち受けていよう。」

湯立てという神事が
わたしたちの国にはあります。

祭りの場を構築するために、祝詞を詠みあげ八百万の神々を招く。そして清浄な湯献じ、その利益を受けとるのです。

今回はその現場を再現したいと思います。
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# by rojitohito | 2016-11-08 00:20 | これからの予定 | Trackback | Comments(0)

朗読室+報告会

〜[a:]からはじめる〜


「旅とことば」

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日時:12月23日(金・祝)
第一部 報告会
13:00~15:00(入場無料)
第二部 朗読室
15:15~17:15(入料室 500円・肴付き)
場所:路地と人
(第一部・第二部共に、途中入退室自由)





今年一年
路地と人にて
冊子「a:」を巡って
朗読室を行って来ました。
その締めくくりとして、
10月末に冊子取材の為に訪れた
韓国への旅
冊子内だけでは収まらない
旅ならではの体験をご紹介する報告会と
それにまつわる朗読室を行います。

是非お越し下さい。


**


第一部 報告会

旅をしてきました。
3泊4日、仁川。5泊6日、ソウル。
2016年、9月の終わりから10月の頭にかけ、約10日間の旅。

旅行ではなく、「旅」と言いたくなるのは、「今」だけではない時間を感じたから。

歴史とは、いつどこで区切られるのでしょう。
韓国で感じたのは、「続いている」という事。

仁川の上り坂も、港も。
ソウルの喧騒も、布の美しさも。

そして、そんな中出会う、歴史的建造物たち。

まだまだ続いていて、うごめいている。
「それはいつから?どこから?」という、たくさんの「?」に出会う毎日。
幸運な出会い。

大きな渦の中を、地に足をつけて歩いて来ました。
お茶を交えながら、旅の片鱗をお話できたらと思います。

佐々木智子


※冊子[a:]
冊子[a:]第1号では、生活環境や芸術といったジャンルを問わずに、「ことば」について考えます。形のないコトバ、表れとしてのことばについて考え実験する試みです。
冊子名の[a:]は発音記号に由来。


※佐々木智子
青森県生。
2013年まで、Yotsuya Art Studiumに在籍。
在籍中の課題を通して、平面・絵本の制作を始める。
現在、平面・絵本・詩の制作。



***


第二部 朗読室


旅とことばを味わうこと
から生まれるコト



声にしたい
ことばをもって
お越しください。
聴きたいだけでも構いません。
お待ちしております。

ことばのこえの企画 クゼナミコ、企画協力/[a:]編集長 佐々木智子)
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# by rojitohito | 2016-11-08 00:10 | これからの予定 | Trackback | Comments(0)

懐烟画譜

画論を読む茶話会に並行して、画譜に習う筆墨の集まりを始めます。

鉛筆と洋紙ノートの普及以前、日本では中国の漢字文化圏の下育まれた筆墨による筆記が専ら行われておりました。

当然絵画においても同じ道具が用いられたわけですが、さて、その時代の絵画学習は一体どのように行われていたのでしょう。

例えば、絵師の徒弟となった場合には、師匠の描いたお手本を模写することで、筆の使い方、モチーフの捕らえ方などの基礎を築き、その上で古きを守るに務めたり、さらに自らの特色を工夫し盛り込むなどしながら一人の画風を育む、といった大まかな学習過程があったようです。

また、さまざまな絵を見るために寺社や個人宅を訪ね、手控えに簡略にその構成を写し取ったり、場合によってはその絵を借り受けてこれを実寸大で模写をする。それは、今日のように印刷物や画像データで多様な絵画を手軽に見られる状況にはなかった時代に、彩色法や筆法などの技術、画面構成、各種画題と、さまざまな情報を獲得するための必要手段でもあったことが想像されます。

江戸時代、町人階層が豊かになるにつれ、出版も次第に盛んになってゆきます。
それまでは師弟関係を中心として得られるものであった上記の絵画に関する情報もまた、版に起こされるようになります。これに先行して、中国大陸では明末清初にかけて出版が盛んとなり、挿絵から展開して図像を集めた書籍、そして絵画に関する書籍の出版が行われました。これらは儒者らの手を介す等して日本へも輸入・紹介され、写本の作成はもとより、それら国内版の作成や、絵師による各種翻案版の作成にいたるなど、以後絵画へ出版物へと影響をもたらしました。

この会では、こうした画譜をもとに実際に写本を作成しながら、筆墨で行う絵画学習を追体験し、また、今日どこか断絶した感のあるその造詣意識にとゆるやかに触れる機会にしていければと考えております。この作業が、体験者それぞれの造詣意識や文化史上の問題意識にと結びついて、何がしか今日なりの可能性を再発見するための手掛かりになれば、と願ってもいるわけです。

この会では、まず自分の使うノートを半紙でつくるところから始めます。
そして写本を作成する為のテキストは先ず『芥子園画伝』から始めたいと思っております。『芥子園画伝』は、江戸時代中期以降の日本の漢画に新たなシーンを築き、その学習の支えとなったといっても過言ではない、理論書と図録を兼ねたテクストと云えましょう。

月一回、それぞれのペースで、筆墨に親しむ機会にとしていければと考えておりますので、小学校・中学校以来という方も、書道のお道具をお持ちいただき、お気軽にご参加いただければと思っております。なお、ご参加の方は各自墨(固形の物)と筆をお持ち下されたく存じます。
一人一巻の写本『芥子園画伝』が揃う日を楽しみに。
(中西レモン)


懐烟画譜によせて
 少し前まで、街中で歩いていても書き慣れた毛筆の注意書きなどを見かけることがあったが最近ではめっきり見ることがなくなった。恐らくは二十年ほどのことかと思うが、これに気づいたのは大阪千日前の書店で行草の商品紹介を掲示をしているのを見たときである。
主人の趣味もあるのだろうけれども、確かにこの様な掲示は見たことがあったから、かかる書店の掲示は習慣を変えないままきてしまったのだろうと思われた。
行体は読めるにせよ、現在草体はどれくらいの人が読める、いや文字として目にとめるだろうかと同時に感じたのを覚えている。だいたい手書きの掲示物すら一部の寺院で見るくらいしかもう見かけなくなった世間ではある。その中で手書きを模した書体もあり、手書きそのものも数ある趣味の一部と漠然と分類されるという感もある。

文化とは不断に更新されるがその足音は静かなようである。私はさまざまの変化に無頓着であるが、あるときある拍子に、私たちが過去に親しんだ、ある習慣が思い出されることがある。その時間的な飛躍は優に一世代を超えて、我々がしたこともない髷を頭に乗せていた頃が立ち現われることもあるのである。

たとえば何かしらかの色のある粉をつなぎを入れて練った物をまた溶いて、それを毛を束ね、それに持ち手として棒をつけたものを使い筆記する事は、絵を描いた経験ある者にとってみれば日常茶飯である。
この行為の単純は今回対象としている墨を使った画が描かれたところと全く変わりがないのである。
ひとたび各々比較すれば、自ずと似ているところを見、また如何してか似ていないところも認めることになるだろう。

たまさか我々の遊ぶ文化の持つ起伏の上を、親しみと新鮮さを以って散策してみることとしよう。
(高村健志)


・・・・・



懐烟画譜

ゆるやかに画譜を模写しながら筆墨に親しもうという集まりです。

11月7日(月)※月1回の開催予定
時間 19時〜
場所 路地と人
参加費1000円
初回の方も歓迎。半紙を用いて今後使うノート作りから始めます。要予約(rojitohito@gmail.com)初回の方は素材・資料代で1500円


*内容は、『芥子園画伝』を筆頭に順次画譜の写本作業を、それぞれのペースで進めます。
ご希望の画譜がある場合にはご相談ください。

参加希望の方・・・小中学校時代にお使いの書道セットをお持ちの方は書道セットをご持参下さい。
また、書道セットをお持ちでない方は、ご自身の筆(小筆で大丈夫です)と墨(固形の物)をお持ちください。
会を継続される方でご希望の方には、道具購入の相談に応じます。懇切丁寧にあてずっぽうの情報をお伝えいたします。


・・・・・


高村健志
昭和59年10月23日神戸市生まれ、通算引っ越し回数7回を経て画家、現在に至る。

中西レモン 
ぶらぶらしてる人。あれこれ首をつっこんできまして、このごろは庶民の唄と踊りと物語、あと絵画にも関心が回帰してきているようです。
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# by rojitohito | 2016-11-07 00:00 | 2016年終了イベント | Trackback | Comments(0)
路地と人メンバー鶴崎が、と整体・川崎智子さんの話を聞く、
という形で継続してきた対話冊子『ある』は、
2014年4月から三年間継続目標で始まり、2017年3月で終りを迎えます。

『ある』は終わって無くなりますが、
無くなるということには、どんなイメージがあるでしょうか。
すこし寂しい感じでしょうか。
悲しい感じがするでしょうか。

整体においては、無くなることに、明るいイメージがあると聞きました。

『ある』最終回の収録として、座談会を開きます。
最後は、無くなることについて考えます。
どうぞお気軽にご参加ください。

(ここで話し合われたことは、この後冊子として形になり、発行されます。)




冊子『ある』座談会  無くなる

2016年11月6日(日)
13時15分から2時間ほど
参加料:500円(お茶付、おやつ持ち寄り歓迎)

〈話し手〉川﨑智子(と整体)





ある
ある は、あることに耳を澄まし、認知していくことを目的とした対話冊子です。
発行日 毎月第2日曜日(2014年4月〜2017年3月)
部 数 200部
定 価 200円
サイズ B4四つ折り
発 行 観察と編集


川﨑智子
1970年5月5日宮崎県生。不調をきっかけに出会った野口整体により体の全感覚が一致した自覚が生まれ、元気で丈夫に、自由になる。気を独学。2005年より整体活動開始。整体指導者として、「と整体」を主宰。

観察と編集
鶴崎いづみによる、観察と編集を基礎とする試み。主に出版などをおこなう。

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# by rojitohito | 2016-11-06 10:35 | 2016年終了イベント | Trackback | Comments(0)
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『全国6会場で同時に同じ作品を飾る』展
2016年10月17日(月)-2016年11月5日(土)

16:00-20:00※ポスターの開催時間より変更になりました
入場料 無料
小田島等、倉科直弘、佐貫絢郁、鈴木寛和、山之内葵


『何で同じ作品を全国6カ所で飾ってんのか?トーク』
10月23日(日)14時〜

入場料1000円
小田島等、倉科直弘、佐貫絢郁、鈴木寛和、山之内葵

展示『全国6会場で同時に同じ作品を飾る』参加作家による展示解説。エディションとはなにか?なぜ同じ作品を飾るのか?その問いに迫ります


「エディション」とは何か?
私たちはこの共通の課題を模索するために表現の垣根を越えてここに集いました。
本展は、5人の表現者がそれぞれ異なるアプローチで複数制作した「同じ」(エディション)作品を「同時」に全国6会場(東京・名古屋・京都・大阪)で「飾る」ものです。それを通じて、美術作品はただ一人の作者の身体・思考と直結するという近代のオリジナリティ神話や原画一点主義、それにまつわる作品の尊厳性について問いを投げかけてみたい

【作家プロフィール】
・小田島等 Odazima hitoshi
1972年東京都生まれ。桑沢デザイン研究所卒業。 95年よりCD、広告物、書籍装丁のアートディレクションを多数手がける。
同時にイラストレーターとして活動。近年は展示活動も精力的に行う。
近著にデザイン&イラストのアーカイブ作品集『ANONYMOUS POP』(P-vine books)がある

・倉科直弘 Kurashina naohiro
1981年長野県生まれ。 写真家
大阪を拠点に昭和色濃く残る街や競馬場の人々を写すかたわら、看板や街の〈シミ〉を複写している。
2014年 アートエリアb1 サーチプロジェクト出展。
2015年 OURS MAGAZINE 連載。

・佐貫絢郁 Sanuki ayaka
1993年 静岡県生まれ。京都造形芸術大学大学院在籍。
ドローイング、gif、日本画、オブジェなど特定の手法に依らず制作。
近年の展示に、「第14回 グラフィック1_WALL」(ガーディアンガーデン・東京、2016年)。

・鈴木寛和 Suzuki hirokazu
1991年愛知県生まれ。
大阪大学文学研究科に在籍。
美術によって媒介される人間の集団に関心を持ち、現在は制作者集団「極」を中心に戦後関西の芸術動向について研究している。コーディネーターとして参加した展覧会に「home/format」(すみれ荘・大阪、2015年)がある。

・山之内葵 Yamanouchi aoi
1993年 岡山県生まれ。京都嵯峨芸術大学版画分野卒業。
既存のイメージを用いた作品とその他グッズを制作。主なグループ展「Thinking print vol.4 コラージュと版画、そして写真」、「スーパーライト/ハイパー紙」、「oneroom2015」


【展示会場】

《高円寺FAITH》
・定休日
水曜日

・営業時間
平日、祝前日 15:00~26:00
土曜 12:00~26:00
日曜、祝日 12:00~12:00
・アクセス
東京都杉並区高円寺南4-2-10 伊澤ビル

《路地と人》
・営業時間 16時〜20時
・定休日 水曜日 
・アクセス
東京都千代田区三崎町2-15-9 木暮ビル2階

《LIVERARY Office》
・定休日、営業時間はLIVERARYofficeのFacebookページ
または、LIVERARY http://liverary-mag.com/をご覧ください
・アクセス
愛知県名古屋市 中区新栄2丁目2−19 新栄グリーンハイツ106

《prinz》
・定休日 無休(木曜日のみランチ営業のみ)
・営業時間:ランチ11:00オープン16:00クローズ
     ディナー18:00オープン22:00クローズ
・アクセス
京都府京都市左京区田中高原町 5

《The 光》
・定休日、営業時間などの詳細は@toko_ikumotoをご覧ください
・アクセス
大阪市北区西天満4-8-1
080-3832-2879

《ninho》
・定休日 火曜日
・営業時間15時〜19時
・アクセス
大阪府大阪市北区西天満5丁目8−19 日亜ビル1階
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# by rojitohito | 2016-10-17 15:46 | 2016年終了イベント | Trackback | Comments(0)

懐烟画譜

画論を読む茶話会に並行して、画譜に習う筆墨の集まりを始めます。

鉛筆と洋紙ノートの普及以前、日本では中国の漢字文化圏の下育まれた筆墨による筆記が専ら行われておりました。

当然絵画においても同じ道具が用いられたわけですが、さて、その時代の絵画学習は一体どのように行われていたのでしょう。

例えば、絵師の徒弟となった場合には、師匠の描いたお手本を模写することで、筆の使い方、モチーフの捕らえ方などの基礎を築き、その上で古きを守るに務めたり、さらに自らの特色を工夫し盛り込むなどしながら一人の画風を育む、といった大まかな学習過程があったようです。

また、さまざまな絵を見るために寺社や個人宅を訪ね、手控えに簡略にその構成を写し取ったり、場合によってはその絵を借り受けてこれを実寸大で模写をする。それは、今日のように印刷物や画像データで多様な絵画を手軽に見られる状況にはなかった時代に、彩色法や筆法などの技術、画面構成、各種画題と、さまざまな情報を獲得するための必要手段でもあったことが想像されます。

江戸時代、町人階層が豊かになるにつれ、出版も次第に盛んになってゆきます。
それまでは師弟関係を中心として得られるものであった上記の絵画に関する情報もまた、版に起こされるようになります。これに先行して、中国大陸では明末清初にかけて出版が盛んとなり、挿絵から展開して図像を集めた書籍、そして絵画に関する書籍の出版が行われました。これらは儒者らの手を介す等して日本へも輸入・紹介され、写本の作成はもとより、それら国内版の作成や、絵師による各種翻案版の作成にいたるなど、以後絵画へ出版物へと影響をもたらしました。

この会では、こうした画譜をもとに実際に写本を作成しながら、筆墨で行う絵画学習を追体験し、また、今日どこか断絶した感のあるその造詣意識にとゆるやかに触れる機会にしていければと考えております。この作業が、体験者それぞれの造詣意識や文化史上の問題意識にと結びついて、何がしか今日なりの可能性を再発見するための手掛かりになれば、と願ってもいるわけです。

この会では、まず自分の使うノートを半紙でつくるところから始めます。
そして写本を作成する為のテキストは先ず『芥子園画伝』から始めたいと思っております。『芥子園画伝』は、江戸時代中期以降の日本の漢画に新たなシーンを築き、その学習の支えとなったといっても過言ではない、理論書と図録を兼ねたテクストと云えましょう。

月一回、それぞれのペースで、筆墨に親しむ機会にとしていければと考えておりますので、小学校・中学校以来という方も、書道のお道具をお持ちいただき、お気軽にご参加いただければと思っております。なお、ご参加の方は各自墨(固形の物)と筆をお持ち下されたく存じます。
一人一巻の写本『芥子園画伝』が揃う日を楽しみに。
(中西レモン)


懐烟画譜によせて
 少し前まで、街中で歩いていても書き慣れた毛筆の注意書きなどを見かけることがあったが最近ではめっきり見ることがなくなった。恐らくは二十年ほどのことかと思うが、これに気づいたのは大阪千日前の書店で行草の商品紹介を掲示をしているのを見たときである。
主人の趣味もあるのだろうけれども、確かにこの様な掲示は見たことがあったから、かかる書店の掲示は習慣を変えないままきてしまったのだろうと思われた。
行体は読めるにせよ、現在草体はどれくらいの人が読める、いや文字として目にとめるだろうかと同時に感じたのを覚えている。だいたい手書きの掲示物すら一部の寺院で見るくらいしかもう見かけなくなった世間ではある。その中で手書きを模した書体もあり、手書きそのものも数ある趣味の一部と漠然と分類されるという感もある。

文化とは不断に更新されるがその足音は静かなようである。私はさまざまの変化に無頓着であるが、あるときある拍子に、私たちが過去に親しんだ、ある習慣が思い出されることがある。その時間的な飛躍は優に一世代を超えて、我々がしたこともない髷を頭に乗せていた頃が立ち現われることもあるのである。

たとえば何かしらかの色のある粉をつなぎを入れて練った物をまた溶いて、それを毛を束ね、それに持ち手として棒をつけたものを使い筆記する事は、絵を描いた経験ある者にとってみれば日常茶飯である。
この行為の単純は今回対象としている墨を使った画が描かれたところと全く変わりがないのである。
ひとたび各々比較すれば、自ずと似ているところを見、また如何してか似ていないところも認めることになるだろう。

たまさか我々の遊ぶ文化の持つ起伏の上を、親しみと新鮮さを以って散策してみることとしよう。
(高村健志)


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懐烟画譜

ゆるやかに画譜を模写しながら筆墨に親しもうという集まりです。

10月3日(月)※月1回の開催予定
時間 19時〜
場所 路地と人
参加費1000円
初回の方も歓迎。半紙を用いて今後使うノート作りから始めます。要予約(rojitohito@gmail.com)初回の方は素材・資料代で1500円


*内容は、『芥子園画伝』を筆頭に順次画譜の写本作業を、それぞれのペースで進めます。
ご希望の画譜がある場合にはご相談ください。

参加希望の方・・・小中学校時代にお使いの書道セットをお持ちの方は書道セットをご持参下さい。
また、書道セットをお持ちでない方は、ご自身の筆(小筆で大丈夫です)と墨(固形の物)をお持ちください。
会を継続される方でご希望の方には、道具購入の相談に応じます。懇切丁寧にあてずっぽうの情報をお伝えいたします。


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高村健志
昭和59年10月23日神戸市生まれ、通算引っ越し回数7回を経て画家、現在に至る。

中西レモン 
ぶらぶらしてる人。あれこれ首をつっこんできまして、このごろは庶民の唄と踊りと物語、あと絵画にも関心が回帰してきているようです。
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# by rojitohito | 2016-10-03 00:00 | 2016年終了イベント | Trackback | Comments(0)

JR水道橋駅のうら路地にある古い建物の2階で展示や催しを行う「路地と人」のサイトです


by rojitohito